"タイのお茶、アジアのお茶"という本を読んでみました。
本書は森下ヒバリさんが2001~2007年に渡り、アジア各国にて飲んだお茶やその歴史について記載がされております。
細かな製造工程までの説明はありませんが、お茶とはどういうものであり、各地へどのように伝わったかなどをヒバリさんの実体験を読み、知ることができます。
普段何気なく飲んでいるお茶の見方が変わるよい本でした。
以下は備忘録として残します。
こういうのってあまり振り返らないんですがね笑
お茶の基本
・お茶の葉には酵素が含まれており、葉を摘むことで酸化が始まる。
・摘んだ葉を日干しして自家発酵を促進させると花のような香りになる。
・生葉の酵素を完全発酵させたものが紅茶。
・緑茶は葉の発酵を直ぐに熱を加えて止めたもの。
・プーアル茶は緑茶同様に、発酵を直ぐに止め深めるが、茶葉を積み上げて麹菌を加えて、発酵を再開させたもの。
カオソーイの歴史
・カオソーイはチェンマイを代表する料理だが、元々はチェンマイに住むムスリムしか食べなかった。
・カレー粉と中華麺という不思議な組み合わせの歴史はチェンマイへの人の流れと関係している。
・雲南省に住むムスリムは各地に存在する、イスラムネットワークを活かした交易をし、雲南省のお茶と交換していた。
・イスラムネットワークの一つにチェンマイを通る交易路が存在していたが、利用はあまりされていなかった。
・しかし、中国政府によるムスリム弾圧により、雲南省に住むムスリムは南部へと追いやられ、その結果として、チェンマイ中心に周辺国家であるビルマ、雲南省との交易が盛んになった。
・インドもビルマもイギリス植民地であり、ベンガル地方ムスリムが多い。ムスリムなインド人がビルマ経由にてチェンマイにて中国人と結婚。
・生活の中で食文化が合わさって、カオソーイが生まれたとされる。
イギリス人が紅茶を好む理由
・元々イギリスにはカフェインを含む飲料が無かった。16世紀後半にアラビアより珈琲、中国から緑茶が入ってきて魅力に取りつかれた。
・オランダとのアジアでの貿易争いに勝ち、お茶を安く手に入れることができるようになったが、珈琲の争いには負けた結果、紅茶が広がっていった。
・この考え方でいくと、プーアル茶でも成り立つが、紅茶である理由はミルクと関係。
飲食としてのお茶
・初めてお茶を飲食として利用し始めたのは山地民族のヤオ族。山地民族ゆえに、薬草に詳しかった。現在の製茶技術を開発、商品化したのは蜀の漢族。
・中国が明~清の時代に西双版納のモンラー周辺は発展を遂げた。ヤオ族などの山地民族にお茶を生産させ、プーアルの町まで運搬。プーアルの町から中国各地に運ばれていった。プーアル茶は集散地であったプーアルから名付けられている。
タイ人とお茶
・タイ人は基本的にはお茶を飲まず、水を飲む。美味しいお茶を飲むにはタイのチャイナタウンに行く必要がある。
・冷たいお茶を飲むのは日本人だけだと中国人から馬鹿にされる。
・タイの食堂で出てくるお茶は色が付いた水。氷好きのタイ人がどんどん氷を入れるので薄まるのが原因。
ヨーロッパでのミルク
・ヨーロッパ人はミルク愛好家であり、大人になっても消化することができる。
・ミルクに含まれる乳糖分解酵素ラクターゼは大人になるとなくなる。
・ラクターゼを持つ特異な民族がラクターゼを一般栄養学へと入れ込んだので、栄養があると思わるが、消化不良を引き起こす。
・高齢の方がカルシウム補給として牛乳を飲むのは消化不良を引き起こすだけ。