気付けば2024年が終わっていた。
「何か偉大な事をやり遂げたか?」と聞かれると例年通り「No」なのだが、過ぎ去った1年という時間について振り返ってみようと思う。
といっても既に2025年4月なのだが・・・
私の中での2024年の印象的なイベントは年始の北タイ旅行だ。2週間近い時間を大好きなタイに費やせたのは貴重である。
特にチェンライのゲストハウスでの出会いには感謝したい。
元々は車で行動する予定だったが、「バイクに乗ってみたら?思っているより安全だよ」という些細な一言で、私の行動範囲を広げてくれたと感じる。そしてタイ好きに拍車がかかった。

また、昨年に引き続き、読書や英語、クライミング、転職活動は細々と継続していた。これらの点について振り返ってみようと思う。
①読書
読了した書数は16冊。
特に北タイ旅行を終えてからは、フィールドワークに興味を持ち、関連する本を読み漁っていた。
また、納豆に関する知見を広げるべく、横山智先生の「納豆の起源」や「納豆の食文化誌」を再読した。
特に東南アジア納豆であるトゥアナオは、名古屋大へと訪問して横山先生から話を聞きたかったが、やらずじまいとなってしまった。糸引き納豆を自作しなかったので、実践面が来年の目標としたい。
大当たり本だったのは、カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」である。
日本各地に点在し、今では1つの食ジャンルとなっているナンカレー。それ歴史や仕組みについて言及した内容だ。
実際にナンカレー屋を訪問し、その中で得られた事実を基に書かれている。YouTubeではインネパの裏側という動画が出回っているが、その内容に真実味がないことはこの本を読むと分かる。
動画は簡潔に纏まっており、時に正しくない情報も紛れ込んでいることを痛感した。
他にも、世界の食卓から社会が見える、現代調理器具論、料理の起源など「食」に関する書籍が多かった。料理をする機会が増え、そこから興味を持つようになったことが一因だ。
やはり人の動力源は興味なのだ。
興味の湧かない業務は極力やらないに限る。(そんなことだから私は社会不適合者だと言われるのだと思う・・・)
読んでいる内容に偏りはあるものの、読書は継続していきたい。

②英語
北タイ旅行を終えてから、タイ語か英語のどちらを学ぼうかモヤモヤしていた。
最終的には、汎用性の高さから英語を選択。タイ語は基本的にはタイでしか使えないし、ゲストハウスにいるようなタイ人は英語に堪能な方が多いからだ。
目標は日常会話ができるようになることを設定していた。
取り組んだのは英単語と作文。リスニングも会話で重要な要素なのだが、手が回らなかった。(正確に言うと、アマプラなどの動画の甘い誘惑に乗ってしまい、無駄に時間を消費していた。スマホは中毒性があるので怖い)
英単語は「1分間英単語1600」を使用した。
単語を書いたりして覚えるのではなく、とにかく繰り返して脳に刷り込ませる仕組みだ。林檎をアップルと認識できるように、無意識に単語の意味が出てこれば定着完了だ。素早く、繰り返すというのがポイントになっている。
実際に繰り返して使ってみたが、確かに単語は出るようになった。でも、少し時間を置くと忘れてしまっている。時折、再刷り込みしておく必要がありそうだ。
ただ、この単語帳の問題点は単語数が少ない点だ。同じ意味を持つ単語が名詞、動詞、形容詞と変化しているだけなので、実収録数は700~800単語ぐらい。
仕組みとしては実用的なので、上位の単語帳に移行してみる。
そして作文では「どんどん話すための瞬間英作文トレーニング」を使用した。
構文ごとにページが分かれており、各ページではその構文を使って、実際に文章を作るという内容。
レベルは中学1年~3年の内容なのだが、いざ文章を作ろうとすると全く作れない。むしろ高校受験間近の中学生の方ができるのではと思わされた。
最初は全く作れなかったので、頭が沸騰しかけていたが、6周回った現在は詰まる頻度が減った。英作文の回路が作られていく感覚が味わえる。
ただ、構文ごとに分かれていることがデメリットとして働き、流れで文章を作れてしまう場合がある。
そのため、次トライするなら「スラスラ話すためのシャッフルトレーニング」かな。

③クライミング
外岩自体は中々行く機会が減ってしまい、ジム中心で登っていた。
週1クライマーではあるが、ホームジムであるズットン(閉業して、ディーボルダリングとして復活するらしい)で2級を落とせるようになってきている。牛歩ながら成長は感じる。
やはり故障なく継続して登れているのは大きい。
幸いなことに声掛けしてくれる友達がいて、小川山と瑞牆で数回登ることが出来た。
残念ながら成果と呼べるのは瑞牆のナーガ(3級)くらいだ。
リードに関しては、「帰ってきた開拓王」という良い課題に出会うことが出来た。とんがりコーンのようでカッコイイ岩だ。
実力不足でトップアウトすら出来ていないが、登らないと強くはならない。幸いにも自宅にビーストメーカー1000を設置することができたので懸垂やぶら下がりでジム頻度を補っていこうと思う。
豊田の一難去って?こればかりはいつになったら登れることやら。そもそもトライしろって話だけど。

④転職活動
転職しようと決めたのは、2年ほど前だ。結婚を機に、通勤距離が倍以上になったことが一番大きい。
通勤時間を短くする努力はしてみたが、いかんせん、所属する部署は社内ではブラック環境で有名なのだ。(他部署からは監獄、アルカトラズ、軍隊と呼ばれている)
パワハラ、セクハラが蔓延していることはないが、品質トラブルが多く、毎日慌ただしい。定時退社?何それ?美味しいの?状態だ。肌感覚だと製品開発と同じ比率で、トラブル対応していたかな。
しかも異動届も大半が受理されることはない。3年出し続けてようやく異動できるそうだが、そんなに待てないので、転職するという選択をする人ばかり。会社としても人が抜ける方が痛手だろうし、異動のハードルを下げればいいのにと思う。
それもあってか、毎年のように人が辞めていくことが、毎年の恒例行事となっている。真面目な人ほど自分を責め、メンタルを壊して去っていく。
いつもは退職者(脱獄、脱走、裏切りと表現されることが多い)を見送る立場だったが、今年は見送られる側になった。
転職が当たり前の時代とはいえ、毎年するものでもないので、自身の記録も兼ねて残しておく。
冒頭にも書いたが、私が転職を決めた最大の理由は通勤時間だ。
メンタル不調ではないし、むしろ健康体だ。嫌い/苦手な人はいたが、これはどの会社にいても存在するものだと割り切っていた。
ちなみに、苦手なのは高圧的、正論ばかり振りかざしてくる人。逆にユーモアがあり、前向きな人が好きである。
もう一つの理由が、社内ルールと書類作成が多すぎる点だ。
モノづくりをする上で、必要不可欠なことだとは頭では理解している。
しかし「製造部との調整」、「朝から晩まで似たような文書作成」、「過去の報告書に後付け根拠をつけること」を毎日することに面白みを感じなくなっていた。
そのため、転職軸は通勤時間>>業務内容>給与で活動した。
ただ、積極的な活動はしておらず、気に入った求人があれば応募してみるスタイルだ。
残念ながら、昨年はどこも決まらなかった。
一昨年は某県庁を受験してみた。
コロナ禍前に合コンしたくらいで、縁もゆかりも無いのだが、近いという理由だ。
社会人枠は新卒で入庁する時と比べ、筆記は足切り程度なので、筆記試験は通過した。
ただ、二次試験の面接にて落とされた。
異業種であり、経験についての踏み入った質問や、最後の1分間PRでしどろもどろになってしまったのが落ちた要因と思われる。
今となっては県内のどこに配属されるか分からなったので、落ちて正解だった。
基本的にはネットに転がっている公務員試験の想定問答を準備しておけばよいと思うが、もう受けることはないだろう。
その後は迷走し、化粧品会社やお菓子の商品企画職などに申し込んでみたが、ことごとく不合格。
挙句の果てにはデザイナーとして募集してみたが、ポートフォリオの提出を求められた。作品は中学の美術の授業くらいだし、適当に描いた落書きを送ることもできたが、流石に失礼なので辞退した。
将来なりたい姿や、世の中に必要とされるスキルを意識せず、のらりくらりと生きてきた結果なのだが、ちょっと凹んだ。
真面目に業務に取り組んでいたつもりだが、取り組み方のベクトルが違っていたのだ。
活動して思ったのは、スキルと同じくらい所属している業界が重要だということ。
募集要項にある必須要件を満たさないと書類選考で即落とされる。そしてこの必須要件に○○開発経験と書かれている。この○○に当てはまるのが業界だ。
つまり大抵が業界未経験というだけで弾かれてしまう。
そのため愛知県で自動車業界で働いていると、転職先には困らなさそう。それくらい自動車会社で溢れている。そりゃ電車がトヨタ系で溢れるわけだ。
一度考え直してみた。
業種は変えず、同業種の会社を受けてみた。同じ業界だけあって、書類選考は通過。
1社目は通勤時間の短さが魅力だったが、規模などは下位互換となる。
理由づくりが難しく、面接で絶対転職したいと言い切れなかった。そして後日、お祈りの手紙が届いた。
転職活動とは、自分という人間に価値付けする行為だと思う。
美辞麗句を並べ、売り込み、買って貰えるか。買って貰えるにはどのような人間でなければならないか。
時間も限られているので、口達者な者、アピールが上手い人ほど有利なのは間違いない。しかし、私にはその手の器用さは持ち合わせていない。原稿を準備しても直ぐにボロが出てしまうのだ。
そしてどこにも決まらず、夢遊病のように、毎日転職サイトを徘徊する亡霊となっている。
でも自分がどのような人間か、何ができるのかを棚卸しするのにはよい機会となる。
結果はどうあれ、活動することで得られるものは多いと思う。
お祈りされてからも細々と求人情報を眺めていた。転職サイトを徘徊するのが趣味になりつつあった。
そんなある時、ある企業をみつけた。募集してみたら書類通過し、面接へ進めた。
企業規模が大きくないこともあり、面接後に職場見学もさせて貰えた。研究室という雰囲気があり、社員の方も穏やかそうだ。
そして最終面接を受けた。
4回目の面接ともあって、詳細な業務内容の話はなかった。どちらかと言えば、本音と建前の本音部分を求められた。
そして2025年1月末に無事に内定をいただけた。給与は変わらず、業務経験も活かせるし、通勤時間も半分以下となる。条件としては十分だ。
現職でこのまま働いていれば、ゆっくりと昇給はするだろう。ただ、どれだけ頑張っても通勤時間は変わらない。
年齢も割といっており、立派なオジサンに分類される。
会社にいる先輩社員の方々は育児などもあり、会社にしがみ付くしかないという。いわば、選択肢が無くなったので会社に残り続けているパターンだ。
これは悪いことではないし、日本にいる人間の大半が該当するだろう。
家を買ったり、子を持つことは自由度を失う大きな決断なのだ。その分、得られるものも当然あると思っている。
ただ、そのような人たちは揃って、「羨ましい」「裏切り者」と言ってくることも分かった。やはり自身が納得した行動ができないことに悶々としているのだ。
ふと長時間かけて好きでもない仕事をしに行き、年老いていく未来の自分が、帰宅帰りの電車の車窓へと映った。
それは、まさに会社の歯車になった情けないサラリーマンの姿だった。
私は今回のタイミングを吉とみた。そして今回決まった会社に転職することを決めた。
(関連会社にいる仲の良い友達にも転職先の噂を聞いてみたが、悪い噂はなかったのも決定要因の一つ)
退職する1ヶ月前には所属長に退職する旨を理由を添えて告げる必要がある。
そして定時後に所属長に報告した。なぜか転職の面接以上に緊張した。
報告した時は悲しそうな顔をされた。お世話になっている方だけに、申し訳ない気持ちになった。
その後は部長面談、本部長、事業部長、人事報告と進んだ。会社によってはステップの途中で意図的に止められ、退社時期が遅れることもあるようだ。その点、揉めることなく素直に進んでよかった。
そして最終出勤日を決めて、引継ぎを始めた。
ただ、納得いかなかったのは退職の意向を告げた日に、新しい仕事を振られるという意味不明なことをされた点だ。
普通は引継ぎを優先し、新たな業務は別の人がメインとなってやるはずなのだが、それがされなかったのだ。弁が立つ相手なだけに、躊躇って反論できなかった。
喧嘩別れはしたくなかったので、渋々取り組んだが、毎日3時間以上の残業が続いた。
チームリーダーは業務を振るだけ振って、毎日定時に上がっており、苛立ちを覚えた。
(個性的な人間はいるが、相談しやすい環境ではあったのでもっと遠慮せずに自分の意見を言うべきだったと反省)
結局、最終出勤日の定時15分前まで慌ただしく引継ぎをすることになった。
それもあって挨拶回りに行けず、本当に消えるように去ることになってしまった。
最終出勤日まで悶々とすることはあったが、お世話になったことは間違いない。
送別会にて感謝を述べ、そして電車にて名古屋へと戻った。
こうして私の人生初の転職活動は終了した。
月並みではあるが、業務やスキルの棚卸し、自分の市場価値、自身の仕事に対する考え方など転職活動することで得られることは多かった。
転職するしないは個人の自由だが、自分自身を見直すよい機会になると感じた。
仕事で実際にやってきたことでも意外と文字にしようとすると書けないものである。
前の職場で悪い点をあげるなら、上層が20年以上1つの部署しか経験していないことだ。
そのため、無意識的に考えや取り組み方が凝り固まっているように感じた。特に過去のデータや功績に執着していた。
同じ環境にいて、同じような人と居続けるのは居心地がよい。
ただ、定期的に換気して、空気を入れ換える必要があると思う。
だが、社内政治には比較的敏感で、責任転嫁する方が多かった。
この環境に合わない者 or 環境を変えれない者は自ら去っていく。そのため、30代後半が丸々抜けている。自分もその1人だ。
しかし今となっては過去の話。
本日4月1日からは転職先での勤務となる。
間違いなく環境は変わるし、慣れないことも多く、ストレスは溜まるだろう。
追い込み過ぎず、変化を楽しんでいきたい。
※新しい情報が多く、初日から脳が疲れた・・・
以下は某県庁の座席配置表。今となっては、何故受けたのか不思議だ。

ジューガンマイクラップ