文明人の水平移動

タイ料理が大量に。

タイ旅行11日目(2024/01/09)

7:50起床。昨日は寝落ちしてしまい何時に寝たかは分からない。ただ熟睡することはできた。

朝ご飯は宿の無料朝食を食べることに。そして嬉しいことにもち米とバナナをバナナの葉で包んで蒸したお菓子「カオトムマット」があるではないか。

早速いただくが、ココナッツミルクとバナナの甘みがマッチして美味しい。2つ食べた方が、数に限りがあるし、宿にいる人数分しか用意されていない可能性があると思い止めておいた。

 

他にはビスケットを食べたが、個包装されておりバターの香りがして美味しい。でも成分表をみるとバターは使用されておらずマーガリンだけ。私の舌はバターフレーバーに見事に騙されたのだ。

 

その後はメーホンソン朝市へと足を運んだ。先日の夕方に来た時とは打って変わって、活気で溢れていた。野菜の山、新鮮な肉と血、雑貨など多くのお店でごった返していた。

 

車を荷台代わりに使用しており、東南アジアらしい光景。野菜も美味しそうだ。

 

出店で豆菓子のような塊が売っていたので買ってみた。タイ語で「ナンポーペイユー」と呼ぶとおばちゃんは言っていたが、食べ方が分からない。調べて食べてみようと思う。※写真はトゥアナオである。

今日はバイクを借りて1日メーホンソンをぶらつく予定だ。宿近くにある「JD Motor for Rent」というバイク屋にレンタルしに向かった。

バイク屋には誰もいなかったので「Hellow」と大きな声を出してみたところ、家の奥から白髪を後ろで束ねた長身のお爺さんが表れた。身体が悪いのか、手が震えており、動作がかなりスローであった。

メーホンソンでの相棒はHONDA Scoopiである。1日200Bであるが、行動範囲も増えるし安い出費である。チンパンジーのステッカーが

カッコいい。きれいなバイクであり、大事に扱われていることが分かる。

オーナーは「ちゃんと動かせるか」「気を付けて乗ってね」と心配の声をかけてくれる優しい方であった。

 

バイクを借りた後は「バーンホゥアイプーゲーン」へ向かった。フアイプーゲーン村はいわゆる首長族の村であるが、最初は行くことを躊躇していた。

人間を面白おかしく見世物として楽しもうという考え方が受けつけないのだ。見物料を払い、珍獣のような目でみて面白おかしく見る行為は同じ人間としてどうなのだと思う。

遡ること約120年には日本でも似たようなことは行われていた。大阪で開かれた内国勧業博覧会にて学術人類館と称して、各地の民族を展示物としていた。いわゆる人間動物園である。当時は日本に限らず、欧州などでも人間動物園なる展示は行われていた。

ただ、類似する行為が今現在も行われおり、その対象となる民族が首長族である。

でも首長族の人たちもそれを受け入れ、観光客が払うお金にて生計を立てている。そう考えると、私たちは彼らを訪れた方が相手のためになるのだろうか。

でも結局は相手がどのように捉えるかである。私たちがゴチャゴチャ言っても想像の域を出ない。実際に村へと行き、話して考えてみようと思う。

そのようなことを頭でぼんやりと考えて走っていた。

 

フアイプーゲーン村まではR3018を進むことになる。途中で何匹か犬に遭遇したが、アクセル全開で走れば容易に通り過ぎることができた。

村への入り口には看板が立てられているので道に迷うことはないだろう。

 

大広場にてバイクを停め、パーイ川に近づくと対岸にいるボートの船頭が気付きて向かってきてくれた。村の入り口には人が何名がいるので、手を振って合図するとよい。

 

入場料と舟代220Bを払い、渡し船にて入村する。お金は後払いである。

ボートに乗る時間は1分ほど。深さは分からないが、川の流れは強いので徒渉は難しそうだ。

 

まだ完全に観光地化はしておらず、完全にアウェイな状況。村には飼い犬が多くいるが、村人との距離も近いので大人しい。

村の全貌を示さした看板。道はシンプルなので見なくても困ることは無い。

 

突き当たりまで歩くと半屋外のNon-formal Education Centerにぶつかる。ここではタイ語ミャンマー語、英語を教えているようだ。

 

小さな図書室もあった。本当にこの土地で生活しているのだ。

このような施設を見ると自分の学んできた環境がいかに充実していたのかよく分かる。知識に対して貪欲である姿は尊敬にあたる。

村には工芸品が売られていた。村に訪れてきた者へと売り、生計を立てているようだ。

 

首長族と言われるが、実際には首が伸びているのではなく、真鍮の首輪を徐々に増していくことで極度の撫で肩となることで長く見えているのだ。そう考えると、撫で肩族と表現する方が適している。

村の中には一部抜粋された論文が掲示されていた。

簡単にまとめると以下である。

38年間首長族の象徴ともいえる真鍮リングを漬けた43歳女性のX-Scan画像を撮影した。首長族は脊椎を伸ばしているとされるが、これは筋萎縮症を引き起こすので不可能である。実は肋骨を押し下げることで、首を長くみせているのだ。写真が示すように肩角度は45°となっている。これは真鍮の重みは数十キロによるものである。そして押し下げによる影響は肋骨のみであり、骨格へは影響しない。

つまり、首の長さはイリュージョンなのだ。

 

X-Scanの写真をみると一目瞭然だ。肋骨が下がっていることがよく分かる。

面白い発見であるが、このような事実を知りつつ、首長族の女性をgiraffe women(キリン女)と表現するのもどうかと思う。

 

村にはトイレもあった。手桶のどっぽん便所だ。寄進をした人達だろうか、魚沼首長友の会の板看板がある。2007年4月吉日の記載有。17年前に作られてたとしたらかなり状態がいい。

 

生活感あふれる集落を進んでいく。

 

精霊信仰(アミニズム)である首長族には珍しく、教会が建てられている。ミャンマーにいた反政府、反仏教の首長族の人が移り住んできたのだろうか。

村を歩いていると広場に出た。どうやら学校のグラウンドのようだ。サッカーゴールが設置されており、KIDS達が遊んでいた。芝生は手入れされており、管理が行き届いている。竹で作られた見晴台があったが、どのように使われているかは不明。

 

KIDS達が私の存在を察知し、「Hellow、Hellow」と声を掛けてくる。向こうからすると珍しい人が来たのだと思う。髭を指さし、何やら言っている。

KIDS達が知っている単語は「Hellow」だけのようで、「Hellow」と返しても後に続く言葉はタイ語なので困ってしまう。

写真を撮らせてもらったら、指ハートをしてポーズをしてくれた。癒されると同時に、こんな離れた村でも流行っているのだと驚いた。そしてスマホは世界を大きく変えた発明なんだと強く感じた。スマホは本当に世の中のあらゆる人を繋ぐハブになっている。

そしてここである疑問を持つ。

ここに住む人や子供は、この地を離れたいと思うのだろうか?

 

東京に憧れて上京する学生がいるように、チェンマイバンコクへ出ることに憧れを抱かないのか。生まれながらにして、特定の慣習に縛られ、閉鎖された空間にいることを苦には思わないのだろうか。自分には想像もつかない。

スマホを持っている首長族の人達もいたので、外部の情報が遮断されているとは思えない。KIDSが指ハートを見せてきたのが良い例である。

振り返ると、村でこの点について尋ねればよかったと後悔している。

 

村では民芸品を扱っており、私が話かけた首長族の方は英語を話すことができたので、片言ながら会話もできた。

「スカーフを織るのにどれくらいかかる?」

「2日間かかる。斜めの刺繍は難易度が高い。コットン素材感で柔らかい」

「これは何に使用する道具?」

「木の実を割るのに使う。買わない?」という具合だ。

自分が民家に置いてあった器具を見ていると、「それで竹を割いて、屋根を作っているよ」と丁寧に教えてくれた。お礼になるかは分からないが、首長の栓抜きを購入した。

 

穏やかな雰囲気の村で、人間博物館という感覚はもたなかった。村の生活感あふれる様子をみることができたのは本当に良かった。

 

ただ、スマホという文明の利器が普及することで、首長族の生活が変わってしまうのが心配だ。眼鏡をするようになり、ストレートネックになる。この村ではそのような現代に毒された光景は見たくはない。

でもこれは私から見た視点だ。首長族がどのように現代文明を取り入れて、変化していくのか。再び訪れてみてみたいと思えるほど素敵な場所だった。

 

帰りのボートに乗って村をでるときに、パーイ川を犬かきして渡る糞犬をみかけた。

そう、奴らは水陸両用なのだ。狂犬病の犬は水が苦手と言うので、病気持ちではなさそうだ。

でも今後は対岸にいる犬にも気を付ける必要がありそうだ。気付いたら後ろにいて噛まれるのは避けたい。自分の中ではもはや糞犬はバイオハザードのゾンビ犬と化している。

 

宿へと戻り、ひと休憩。

用を済ませてスッキリしたと思ったら、紙が無い。タイのジェットウォッシャーでお尻周りはびしょ濡れであったが、仕方なくズボンを上げた。

ロビーに腰かけて、だらけていたら宿のオーナーが流暢な英語で声を掛けてきた。

「どこ行ったの?」 

「Long NeckVillegeです。」

「良い場所だね。どこか行く予定あるの?」

「ノープランですね。オススメある?」

「パーンオンとバーンラックタイがいいよ。2つの場所の距離も近いから、せっかくだから両方行った方いいね。帰りにタムプラ―に寄るルートがオススメ」

 

という感じのやり取りをした。

パーンオンはタイのスイスとも呼ばれており、大きな湖が広がっている。そしてバーンラックタイはメーホンソンを代表する観光スポットであり、行ってみたいと思っていたが距離が遠いと思い込んで諦めていた場所だ。調べてみると2時間くらいで行けるようだ。明日のメーホンソン行のバスを17:00発にしたので行って帰ってきても十分間に合うことができる。

 

「良い情報をありがとう」とオーナーに伝え、昼ご飯を食べに向かった。

向かった先は壁は宿から140mと激近な「Pa Si Bra」である。宿にメーホンソンのローカル食紹介のポスターが貼られており、Chin Lung(肉団子)が美味しそうだったからだ。

 

店内ではおばちゃんとお婆ちゃんが談笑しており、「ポム キン ランチ(ランチ食べる)」と英語混じりのタイ語を伝えると中へ案内してくれた。

おばちゃんが店前に置かれた鍋を開け、「選びな」と言うので、私は肉団子を指さした。

数分で料理は運ばれてきた。サービスだろうか全く注文していないゲーンハンレーも付いてきた。

店のあまりやる気のない雰囲気から、嫌な予感はしたが、ゲーンハンレーの豚は硬く、米はパリパリだ。肉団子はサイウアのように香辛料やハーブの味がついていて美味しかった。水のボトルを1本購入したというのもあるが、あまり美味しくなかったので60Bはちょっと割高に感じた。

 

食べたあとはメーホンソン空港へ行ってみることにした。何と言っても宿の真裏が空港なのだ。行かない方が難しい。

 

空港内はがらんどうとしており、警備員と清掃員、空港スタッフ、そして糞犬しかいない。大半の人間はスマホを弄ってだらけている。スマホが無い時代はどのようにして過ごしていたのか少し気になる。

1時間ほどエアコンのない空港でボーっとしていたが、飛行機は1機も離着陸することはなかった。後で分かったが、バンコク便とランパーン便がそれぞれ1日1便という超ローカル空港であったのだ。

空港を去るが、田舎町故にあまり行く場所が無い。明日の予定を前倒して、タムプラ―(Fish Cave)だけ行くことにした。Google Mapではバイクだと20分で到着すると出てくるが、自分が走ると30分と1.5倍になる。私は40~50km/hで走っているが、現地の人は60km/h以上だしているのだろう。

  

想定通り、30分ほどでタムプラ―(Fish Cave)には到着することができた。

タムプラ―パースア国立公園の一部であり、洞窟にいる魚に餌を与えることで徳を積む(タンブン)ができる。

入り口でお金を払うが、外国人は100Bとちょっと高い。公園内は日陰になっており、気温が29.8℃だったので暑さしのぎにもなる。

 

公園内ではキャンプをすることができる。小川が近く、平地なのでテントを張るのにはよい。メーホンソン市街地も近いの食材買い出しも容易だ。タイ人はピックアップトラックを所有している人が多いので、壮大なキャンプができそうである。

 

小川には魚がうようよと泳いでいる。青魚とレッドテールの2種類存在するが、食べる餌が異なるので縄張り争いをせず、棲み分けできているのだろう。

 

私も早速タンブンのために餌を買ってみた。20B支払い餌の入ったバケツを受け取る。餌といっても青魚用は人間でも食べられる食材ばかりだ。お菓子入りを購入したが、バナナやスイカなどが入っているものもあり、贅沢な魚だと思った。

 

Fish Caveに到着し、穴を除くと高密度で魚が泳いでいた。三密どころではない、コロナ禍であれば小池都知事は発狂して泡を吹いていただろう。

 

試しにお菓子を投げ入れてみる。コポォという音と共に飲み込まれる。小動物が紛れ込んでしまうと命はない。

餌はあっという間に無くなっったが、これで私は徳を積むことができた。普段から人徳溢れる人間と言われているので(適当)、極楽浄土へ行けることだろう。

手軽に楽しめるよい国立公園であった。

 

その後は宿へと戻り、サンセットをみに、ワットプラタートドーイコーンムー(Wat Phra That Doi Kong Mu)へと向かった。こちらはメーホンソンを一望できる場所である。

 

パーイのワットプラタートメーイェンでも同じようにサンセットをみていたが、別にサンセットが好きなわけではない。タイで夕方頃に何か行動しようとすると、寺院と夕日がもれなく付いてくるのだ。

寺院まではずっと坂道であるが、地元の人はサンセットに合わせてランニングして向かっていた。結構な坂道だったのでランニングにはきついと思う。

寺院には無料で飲めるハーブティーがあったが、熱そうだったので飲む気にならなかった。

 

メーホンソンの街が広がる。メーホンソン空港やノーンチョーンカムをはっきりとみることができる。

寺院を少し外れるとサンセットポイントがあり、日没時間が表示されていた。(実際に日が沈んだのは18:00だったのであてにはならない)

山々をみながら日が沈むのを待つ。バイクが夕日に照らされ、美しい。

「思えば遠くへ来たもんだ」という海援隊の曲が頭の中で流れる。

 

夕日も見れたので、市街地へと戻る。

帰る途中にあった複合施設へ立ち寄り、Tシャツを物色したが、メタルバンドや大型バイクがあしらわれたデザインばかりで微妙だった。

 

その後、先日夜道を歩いていた時に気になったお店へ夕飯を食べに行った。香港粥で有名なお店であるが、川魚が入ったラーメンを食べることに。

「アハーンネナームミーアライバーンカップ(おすすめは何?)」と「ヤイヤイ(大盛り)」と言うタイ語が通じたのが嬉しかった。これを繰り返せば話せるようになるのだろうか。実践できると楽しいものである。

 

料理が出てきた。川魚なので、若干の臭みはあるが淡白な味で美味しい。身はホロホロとこぼれるくらい柔らかい。麺は極細で、博多ラーメン好きの私にマッチしている。味の素を使用したスープが暑さで塩分の抜けた身体に染み渡る。細胞一つ一つが歓喜のドラミングを鳴らす。思わず私も店内でドラミングをするとことでした・・・

価格は50Bと安く、昼ご飯とは違って当たりなお店だった。

 

その足で今日もナイトマーケットに行ってみた。ライトアップされたワットチョーンカムが相変わらず綺麗だ。

丁度Walking Street Live Musicが開催されていたので、屋台で料理を購入して食べながら鑑賞することにした。

 

屋台ではタイヤイ族によるベジタリアンヌードルを購入した。

麺の種類は二種類あり、「どっちにする?」とおばちゃんに聞かれたので「両方食べてみたい」と伝えると笑顔で両方取ってくれた。サービスか分からないが、揚げ豆腐もつけてくれた。

 

Live演奏は若者が演奏していた。服装はどうみても体操服。

おそらくメーホンソンスクサー校の生徒が演奏しており、中学~高校生くらいの年齢だろう。メーホンソンの街中をバイクで走っているときに同じ服を着て通学している子を見かけた。

自分より一回りも若い子達が本当に上手い演奏をしている。しかも2時間ほぼぶっ続けで演奏するのだ。心揺さぶられるものがあった。全く知らない曲なのに何故、揺さぶられるのか不思議である。”音楽は全世界共通の言語である”とどこかで耳にしたが、本当にそうだと思う。

演奏から活気を貰えたので、チップを払いその場を去った。ライブにはカンボジアからのサイクリストもいて、彼らもチップを払っていた。本当によいライブだった。

宿への帰り道にまたセブンに立ち寄り、ノムイェンを購入した。昨日と同じ店員さんで、「またこの日本人来たのか!」という顔をして笑っていた。

パン(フラッペ)と伝えたが、またしても伝わらず。タイ語はアクセントが難しいね。昨日撮影した写真をみせて指差し注文した。

 

ノムイェンは注文を受けてから作り始めるので完成まで少々時間がかかる。せっかくなので作る様子を見させてもらった。

 

①ビーカーにサラシロップとBeverage Creamerを入れて混ぜる。これで独特のピンク色を作り出す。

②牛乳と氷を加えて、ミキサーにかけると完成。

 

相変わらずケミカルな色。味は甘ったるい。でもフラッペにしたからか、通常のノムイェンと比べると味に偏りがないので飲みやすい。

サラシロップさえあれば日本でも作れるので今年の夏はトライしたい。確かThai store Tikに売られていたはず。

今日はそれなりに充実した1日を送ることができた。明日はバーンラックタイへ行き、ゲロバスに乗ってパーイヘ戻る。まずは安全第一に行動しよう。

2日ぶりのシャワーを浴びて床へと着いた。

 

ジューガンマイクラップ