タイ語を学ばれたり、タイ文化について調べる中で、目にしたことがある方も多いだろう。宗教学者として活躍する山田均さんのエッセイである。
冒頭にて、「役に立つ本しか読まないというのは、心に遊びが無いようで寂しい」と述べている。是非ビジネス書しか読まない人に聞かせてあげたい言葉だ。(ビジネス書が役に立つと仮定)
タイでの習わしや日本との違い、生活する上での小ネタについて触れられている。その中から面白かった内容をかいつまんでご紹介したい。
結婚式
近々結婚式を挙げるということもあり、自分達の式と比べてみた。
タイで暮らしの良い家庭だと、800~1000人ほどの人を呼ぶ。自分たちは親族婚なので軽く20倍以上の人が来ることになる。
そして結婚式の招待状だが、貰う方が照れるほどイチャついているものを送る。時代の流れとともにコテコテなのは無くなったようだが、自分はとてもできない。そもそもイチャイチャするタイプのカップルではない。
そして食事はタイ人の場合は殆どビュッフェ形式。どの人種も食べれるように配慮。
日本ではアレルギーは考慮しても、人種や宗教という観点では食事は選択しないので国柄が出ている。タイ南部にはムスリムが多いことも関係しているのだろう。
そして御祝儀。料理代に色を付けるくらいで良く500~800Bほど。
これは日本の参万円が高すぎるんよね。会場が自宅で腰を据えて飲み食いする形式が基本だから演出や式場スタッフの人件費など式の諸経費が掛からないから当然ではあるのだけど・・・
ただラープはタイ人の宴会には欠かせないようで、出てこないと簡単に済ませたと陰口を叩かれるだとか。
うーん、この辺の感覚が分からない。小泉武夫さんの「くさいは美味い」という本でも「中国もホンオフェの量で式の豪華さが決まる」という記載があったので国ごとに祝い食があると分かる。
真に下品な人
下品を感じるにもセンスがいるという考えは自分にはない考え方で新鮮だった。
山田均氏が言うには、ヒマラヤをみて瞬間的に感動するのと同様に、下品さもすぐに心に届かなければ本物ではないそう。
つまりは池袋駅前や天王寺 新世界で下品な人に会わなければ、下品を感じるセンスがないとなる。
池袋や新世界を訪れた時に治安が悪いとは感じたが、下品とは思わなかったので自分は下品のセンスがないのでしょう。
やはり自分には高尚かつ上品なものが似合ってますね。
山田氏はこうも述べている。
そもそも下品の存在が認められるのは日本、韓国、台湾、香港、中国、ベトナムの一部。
下品と粗野、無教養であることは異なる。これらには下品の持つ奥深さがないのだ。
下品が奥深い???
平安時代のエロ本である源氏物語が奥ゆかしいものと同じ感覚なのかしら。理解に苦し見ますね。
そしてなぜ下品が大切なのか?という問いに対してこう答えている。
文化や芸術の優れたものの中には下品で畏敬なものの影が潜んでいるから。つまりは感覚的トゲ。トゲを内側に持たない芸術は人に刺さらない。
絵画に裸婦が多いのは裸婦が下品でもあり、畏敬なものであるからか。芸術はやはり理解が難しい分野ですな。
タイ人は~、タイでは~といった記述が多く、日本との違いが分かる本であった。
外国に住む意味は滞在年数でも変わると述べており、5年いれば人生全体に何かしらの影響がでてくるようだ。
自分はトータルで半年満たない滞在であるが、影響が強く表れている。もし5年滞在したらどう変わるのだろうか。こればかりは行動しないと分からない。
タイに気楽に長期滞在できるようなスキルを身に付けないとな。
ジューガンマイクラップ