文明人の水平移動

タイ料理が大量に。

タイ旅行2日目(2023/12/31)

7:45起床。ドミトリーのクーラーが効きすぎていて夜中に何度か目が覚めてしまった。よく見るとクーラーの温度設定が22℃になっていた。

ドミトリーでは欧米人と一緒になることが多いのだが、彼らの体感温度はどうなっているのだろうか。どんなに暑い場所であっても羽織物が1つは必要だと思う。

 

そしてラインの通知が1件。エミタさんのお婆さんが今朝お亡くなりになった。

ある程度の覚悟はしていたが、まさか年末年始というこのタイミングとは。年末年始は基本的には葬儀屋は休みであるし、帰国すべきかどうか。思考が逡巡する。

状況的にはまだ慌ただしいだろうし、冷静になって判断しようと思う。ということでエミタさんが事前に調べてくれていた「秦小姐豆漿店」に行ってみた。

宿からは歩いて25分ほどの距離だが、散歩にはちょうど良い。シマウマのお尻がデザインされた信号機や路地など街並みを見て歩いた。

 

ちなみに豆漿(トウチアン)とは中国圏にて飲まれている豆乳を指しており、コンビニをはじめ至る所で入手することができる。甘い豆漿は"甜"が付くので間違えないように。塩味を加えた豆漿に、油条(タイでいうパートンコー)などを入れて食べるのが王道の様だ。

GWにチェンマイでパートンコーを食べたときは胡椒やナンプラーを付けて食べたが、本来は豆乳や粥に浸して食べるものだと、面白いことに別の国で知ることになるとは・・・

 

お店は朝から大盛況であった。注文したいが、方法が良く分からなかったので取り敢えず並んでみた。レジにてスマホを見せながら説明したら日本人向けのメニュー表を渡してくれた。

 

無難に豆漿を注文しようと思ったが、新商品という南瓜豆漿にしてみた。これだけでは足りないので起司蛋餅(チーズダンピン)。起司と書いて、チーズらしい。

蛋餅は朝ご飯だけでなく、お菓子としても中華圏の日常生活へ溶け込んでいる食べ物である。"蛋"という漢字をみると”蚕"を想像してしまうが、全く関係ない。中国圏での卵という漢字である。

 

早速食べてみた。

蛋餅はモチモチした記事の中に卵が入っており、それをクルミ味噌をつけて食べる。美味しすぎてお替りしたかった。

 

南瓜豆漿の南瓜は細かくミキサーされていた。南味に下品さは無く、南瓜の持つ甘さが豆乳と合わり、舌に合い優しい味だ。

 

台湾料理は本当にハズレがない。どの店で何を食べても基本美味しいので、観光ではなくグルメメインで遊びに来ても楽しめる国だと思う。最高の朝ご飯を終え、行きとは違う経路で宿に戻った。

 

歩いているときに檳榔のお店を見かけたが、残念ながら営業はしていなかった。

2023年現在の檳榔事情はどうなのだろうか。台湾の田舎の方へ行くとセクシーな格好をしたお姉さんが店前に立っていた。好奇心に駆られて食べた(噛んだ)ときは酩酊感を得られなかったが、再トライしてみたさはある。

「コロナ禍や電子タバコの普及といった世の遷移と共に嗜好は変わってきているし、台北市のような大都会ではやっていけないのかもしれない。」と考えていたら地面に赤い唾を吐いたような痕跡を見つけて、なぜかホッとした。どんなものであれ、無くなるのは寂しいのだ。

冷静にはなったので、今回の旅行の進退を決める。

親への相談(過去の経験など)、自分の想いなどを踏まえ、葬儀に参加すべきかを判断した。仏教における葬儀の宗教的な位置付けは寡黙にして知らないため、私の中での葬儀とは死を悲しむのではなく、これまでお世話になった方への感謝や思い出を振り返る場という認識でいる。

1日目の記事でも触れたが、今回の様な長期連休を取れる機会が次にいつ来るか分からない不透明さ、今後の人生を色付ける活動になること、過去ではなく未来へ向かうベクトルであることより旅行を続行する判断をした。ただ、エミタさんが悲しんでいるときに傍にいてあげれないことのみが気がかりである。

「身内の不幸の最中に何をしている。」というお咎め、関係性の悪化は覚悟している。それでも自分の納得できる選択を取りたいのだ。

そしてエミタさんへ葬儀と通夜には参加せず、旅行を続行する旨を連絡した。

 

どんな返信がくるか正直不安であった。毎週のようにお婆さんのお見舞いに行っている姿を見ていたからだ。そして受信通知が届く。

 

「了解。旅行中に暗い思いをさせてごめんね。美味しいもの食べてきてね。」という内容だ。(転記ではなく、ポイントのみ記載)

 

受け取った返信をみて安心した。そして心の中の靄が取れた。

ただ、続行したことで事故に遭ったら元も子もなくなるので、安全第一で楽しんで行こうと思う。

 

宿をチェックアウトして、エレベータに乗ろうとしたときに髭の生えた陽気なカナダ人に話しかけられた。

突然だったのでテンパってしまい、「どこ行くの?」を「どこから来たの?」と勘違いしてしまい、「日本」と答えてしまった。その為、その後に続く「どこから来たの?」にも「日本」と回答し苦笑いされていた。意味不明すぎる会話だ。

海外に出掛けると毎度このような状況となり、その度に英語で会話出来たらなと痛感する。でも行動できてないということは、あまり響いてないのだろう。今回は重い腰を上げ、行動に移してみようと思う。

2024年の目標として1つ、英会話力の向上を設定することにした。人生の軸にしている「自分の行動範囲を広げる」とも相性が良く、可能性を広げてくれる。年齢を重ねるにつれ覚えは悪くなってきているが、地道に継続はしていこうと思う。

帰国翌日からこの記事を書いている現在まで、帰りの通勤電車でNHKのラジオ英会話を続けれている。効果があるのか分からないが、もう暫くは続けてみる。

カナディアンと「Have a nice day」と別れを告げた。Bon Joviが脳内に流れ始め、時間が加速していく。

 

地下鉄を乗り継ぎ、雙連駅で降りた。目的地は台北の問屋街である迪化街(ディーホアジェ)である。というのもエミタさんから漁師網バッグを買ってきて欲しいというリクエストがあったからだ。おそらく自分だけでは選択肢に上がらない場所である。

道中に台湾カステラで有名な「現烤蛋糕」というお店があるのだが、残念ながら休業日であった。

迪化街はかつては稲を天日干しするための広い空き地だったことから、大稻埕(ダーダオチェン)と呼ばれている。淡水港が開港してからは乾物や漢方が集まり、交易の中心街になった。

そのような歴史的背景もあり、漢方や乾物で溢れかえっており、特有の香りが道路全体に漂っていた。歴史を感じる建造物が立ち並んでおり、歩いているだけで楽しかった。

 

歩きながら漁師網を探していると、3店舗「高建」「大華行」「林豊益商行」にて発見することができた。

 

1号、2号・・・とサイズの違いと取手のデザインで価格が決まるようである。よく見るとほつれている品もあったので、購入時は細かく確認した方がよい。

 

最終的には品揃えのよかった「高建」にて1号2つ、2号1つ購入。後は無事に日本に帰って届けるだけである。価格は65NT$と75NT$であった。

 

歩き疲れたので「豆花荘」という店で休憩することにした。名前の通り、トウファ専門店である。豆花とは豆乳に硫酸カルシウムを加えたもので、台湾ではスイーツとして人気で、至る所でみかける。

 

今回、紅豆豆花を注文した。愛知県民は定期的に小豆を摂取しないと落ち着かずに発狂してしまうのだ。

注文して1分も経たないうちに料理はでてきた。豆花にかき氷、シロップ、小豆がトッピングされたシンプルなものである。

甘さは控えめだけど、小豆が甘さをカバーしてくれる。ドーナッツ類と比べてヘルシーだし、女性に人気なのも分かる。あと、トレーニー。

 

火照った身体に丁度よい冷たさであり、冬に食べるには寒いと思うが、ホットにも対応しているので環境や体調に合わせて食べるのがよいと思う。

朝食で食べた豆漿もだが、台湾の食文化には豆腐が欠かせないと感じた。日本も台湾同様に豆腐料理は多いが、メジャーなスイーツにはなっていない。この違いは何だろうか。食文化の分岐が気になるところだ。

 

これはスイーツであり、昼ご飯が食べたくなったので魯肉飯の人気店「金峰魯肉飯」を訪れた。しかし店前に集まる人の多さに断念。落ち着いて食べれないし、注文も通るか分からない。それにしても人がゴミのようだ。

南門市場を見学して、飲食店の多そうな西門駅へ向かうこととした。ここにある金峰魯肉飯の分店を狙ったのだ。

しかしながら、「西門金峰魯肉飯」もえげつない混みようだ。店内に入ってみたが無視されるし、こちらも断念した。せめて注文方法くらい中国語を覚えていくべきだったと思った。

 

西門は愛知でいう栄のような場所で、若者で溢れている。高級車を何台か見かけ、台北市内でも栄えている場所であることが分かる。

YouTubeの撮影っぽいことが行われていたが、撮影者側の涙ぐましい努力がみてとれた。

 

そんなことより、昼ご飯だ。

「謝謝魷魚羹」というお店が空いていたので入ってみた。

 

何故か水を求める人と思われてしまい、ボトルを1本差し出され「これか?これか?」と聞かれた。私が日本語以外に唯一使える言語、”ボディランゲージ”にて食べるふりをしたら無事に伝わり注文までたどり着くことができた。

 

注文したのは「肉圓(バーワン)」と「滷肉飯(ルーローハン)」である。

肉圓(バーワン)はジブリ映画「千と千尋の神隠し」にてお父さんが豚になる時に食べていたブヨブヨした水風船のような食べ物である。

注文の時に魯肉飯が無かったので、仕方なく滷肉飯を注文したのだが、漢字が違うだけで全く同じものであった。どうやら漢字が難しいので同じ発音をする”魯”を使用するようになったとか。

 

滷肉飯は甘く、すき焼きのたれをかけたご飯の味がした。溶き卵をかければ最高なのだろうが、より一層すき焼きご飯に近づくことだろう。八角が使用されていないことが原因だろう。台湾感を味わいたかっただけに、ちょっと残念。

でもそこを補ってくれたのが、肉圓(バーワン)である。

茹でた肉圓を鍋から出して、はさみで切り、謎の液体をかけてくれた。アニメで見たブヨブヨ生地に包まれている。

かつて食べたことのない味なため、表現しづらい。とにかく八角が強く、微妙に甘いので癖が強い味だ。しいて言うならば、心太にかける黒蜜のような味。

現地の方向けの料理だと思うが、是非食べて欲しい。私とは舌が合わなかったので、次回は遠慮しておく。

 

口直しに、別のお店に行ってみた。

「三代滷肉飯」というお店で、西門駅周辺の店舗と異なり、空いている。

注文して直ぐにご飯にありつくことができた。こちらの滷肉飯は鰹節が大量に入っており、食べやすい。八角は少々入っていたのかな。

タイのカオマンガイのように、お店により滷肉飯の味も大きく異なる。台湾で種々様々な料理を堪能するのもよいが、滷肉飯に特化するのも1つの楽しみ方のように思った。

 

フライト時間も迫ってきたので台北駅へと戻ることにした。

とはいっても時間に余裕はあるため、台北駅周辺を探索することに。歩いていると煙が立ち込める屋台街へと紛れ込んだ。

昨日今日と街中でみた屋台とは雰囲気が異なっており、ヒジャーブを被った人が多くいる。メニュー表は中国語ではなく、英語表記。そして赤白で構成される国旗が掲げられていた。そう、ここはインドネシア街であったのだ。

日本では中華街やフィリピン街をみることはあるが、インドネシア街は初めてだ。

前述の煙はサテを焼いているときのもので、英語表記はナシゴレンやナシアヤムと書かれていた。ちなみに台北駅を東に進んだ緑枠辺りにある。

その後は登山用品店に冷やかしに行った。今の自分が欲しいのはギアではなくフィジカルと時間なのだ。

台北駅に戻り、「金三峡牛角」にて牛の角を模したメロンパンを食べたりして過ごした。パンはぱさぱさしており、そこまで美味しくはなかった。

 

気が付くと駅の柱に座り込んで、30分ほど寝ていた。環境が変わり、知らぬ間に疲れていたのだろう。

 

16:05 桃園空港を目指して台北駅を出発した。行きとは違い、椅子に座ることもできた。肘掛けにUSB TypeA端子があるのも嬉しいですね。

気分良くスマホを弄っていたら悪い知らせが・・・

どうやら搭乗予定のAir Asia便が遅延するようだ。22:50にチェンマイへ到着する予定が23:55になった。まさに年を越す直前である。私のコムローイを見上げながら優雅に新年を迎える計画が崩壊してしまったのだ血涙

 

大富豪でもなく、どこにでもいるサラリーマンなので別便を取ることもできず、早々に諦めることにした。宿のチェックイン期限が0:00なので、遅れることだけ伝えた。

 

1時間もしない内に第1ターミナルへ到着した。夕飯を食べにフードコートへ行ってみたが、どうも食指が動かない。

セブンイレブンタロイモ牛乳と麻辣肉饅、おでんを食べることにした。

おでんの出汁は滷味(ルーウェイ)という醤油ベースの薬膳スープで、八角やシナモンが効いている。日本の昆布だしとはだいぶ味が異なっている。海外でおでんが食べれるのは珍しい。

 

具材ははんぺんが多く、牛スジや糸コンとは日本ならではっぽい。でもおでんは日本の味の方が好きだな。おでんを食べるとホッとするが、ルーウェイではそれは起こらなかった。

 

麻辣肉饅はしびれるような辛さがあり美味しかった。中国圏だからか中華まん類は安いのでおやつの代わりにもよい。

 

搭乗手続きの列は人で溢れていた。タロイモ牛乳は捨てられる前に一気に飲み干したがタロイモの細かな粒子が喉に引っ掛かり、むずがゆくなる。そこまで美味しくもなかったので、ハズレだった。

 

搭乗手続きを終え、搭乗ゲートB1Rへと向かう。やはりLCCだとゲートまでの道が長いこと。水を補充し、お店を見たりして出発時間まで時間を潰した。

最近は何事もスマホありきになっているので、待合室には充電設備が充実していた。欲を言えば各席に充電口があると助かるのだが、欲張りすぎですね。

搭乗ゲートの前で待つが、20:15になっても一向にChiang Maiの文字が出てこない。不安になるが、場所は間違っていなさそうなので大丈夫だろう。

そんな時、館内放送にてChiang Mai行の便が20:30発になると案内があった。出発がさらに遅れたようで、これで私のChiang Maiでの年越しプランは完全崩壊し、コムローイは無くたった。

これも旅の醍醐味であろう。まだタイでは14日間過ごせるし、焦らずにいよう。

結局搭乗ゲートが開いたのは21:15であり、当初の予定である18:30から2時間45分の遅れである。加えて、LCCだからかゲートから飛行機までは専用の車に乗って移動があった。

機内に入ると早々に寝てしまった。今日の宿で寝れるか心配だ。(まあ、宿に着くころには日付が変わっているのですが・・・)

最悪、アルコールを入れておけば寝ることはできるだろうが、明日はチェンマイからチェンライへの移動もあるので避けておきたい。

 

結局チェンマイ空港には0:45頃到着した。新年は飛行機の中で迎えたのだが、寝ていたので記憶がない。いずれにせよ私はタイ旅行はようやくスタート地点に立ったのだ。

 

空港に到着したら、まずはキャッシング。半年ぶりのチェンマイ空港であるが、懐かしさを感じる。ただ、深夜であるのでお店は殆ど閉まっていた。

 

空港TAXIを手配し、本日の宿「NaMa hostel Chiang Mai」に送ってもらった。空港TAXIは一律150Bでぼったくりもないので夜でも安心して乗ることができる。

 

宿に到着したのは1:39であった。流石にどんちゃん騒ぎの音も聞こえず、静かであった。宿に受付の人はいなかったので、連絡したら勝手に入って寝てくれということだった。レスポンスは早いし、どこかで年越しパーティでもやっているのだろう。

 

まだ建てられてから日が経っていないからか、静かで綺麗な宿である。スタッフの方の連絡のやり取りも丁寧で、良い宿そうだ。長期滞在しないことが残念なくらいだ。

 

朝から慌ただしい一日であったが、ようやく寝ることができる。今日は長い1日だった。

明日のチェンライに向けて寝るとしよう。

ジューガンマイクラップ。