文明人の水平移動

タイ料理が大量に。

タイ旅行9日目(2024/01/07)

5:45起床。昨日は寝た後に欧米人軍団が帰ってきて、深夜を越えても音楽を聴いたり、談笑している人がいてよく眠れなかった。

そもそも部屋の構造がおかしい。ベッド横の壁を隔てて談笑できるソファーが設置されているのだ。全く寝る人を配慮していない配置で、見事にそのベッドに当たってしまったのだ涙

最近は熟睡できていないのでメーホンソンでは個室にしようと思ったが、価格をみてゲストハウスに落ち着いた。(1500円以上は高級宿という認識)

 

早く起きたのには理由がある。今日はご来光を見に雲南系中国人が住むサンティチョン村へ行くのだ。メーサロン同様、中国国民党の子孫が住む村である。

サンティチョン村は宿からバイクで20分ほどの距離にあり、その村の頂上に「雲来」と呼ばれるビュースポットがある。そこで日の出を待つのだ。

ただ、心配なことがある。ご来光ということは当然、日の出前だ。つまり、真っ暗闇の中をバイクで走ることになる。そして日が出ていないとき、奴らは本性を現すのだ。

そう糞犬だ。野生を解放し、テリトリーに入るものを攻撃してくる。

 

しかし起きたからには覚悟を決めるしかない。スクーターについた夜露を拭き、アクセルを入れる。

走り出して5分もしないうちに奴らと出くわすが、吠えたり追いかけたりしてこない。

対策としてハイビームにしているからだろうか、目をすぼめて眩しさを感じている様子だ。生物の生理現象を利用した我ながら見事な判断だ。でも光に慣れた糞犬が襲ってくる可能性はあるので、同じ方向に向かって走る自動車の後ろを追尾する形を繰り返しながら雲来へと進んだ。小さな子供が親の足の後ろに隠れる姿を真似したわけだ。

 

真っ暗闇の走行は路面もみづらく、怖かったが無事にサンティチョン村に到着することができた。村の入り口は中国らしい赤や金、白色の門が構えられていた。

サンティチョン村から雲来までは更に5分ほど走ることになる。急勾配の住宅街を走ることになるので、犬に襲われたらひとたまりもない。でも既にアドレナリン全開であったからか、勢いに任せてひたすらに走った。

 

目的の雲来は赤提灯でライトアップされており、迷うことはない。ピックアップトラックや自動車などが続々と到着する。

 

20B支払い展望台へ向かう。展望台は既に大勢の人で賑わっていた。

でもやはりタイ北部の山岳地帯は寒い。お茶と蒸しパン(饅頭)を食べながらまったりと日の出を待つことにした。中国の饅頭(便宜上、マントウと呼ぶ)は日本の饅頭(まんじゅう)とは別物で、肉や餡が入っていないプレーンのものを指します。

ほんのりとした甘さが特徴で、三国志に出てくる諸葛孔明が考案した料理だとか。

そしてお茶の美味しいこと。ローズティーだろうか、香りがよい。お茶に関しては全くの素人だが、美味しいと分かるくらいだ。

専ら家では麦茶や烏龍茶ばかりであるが、このような急須に入った茶もよいものだ。イギリスが中国から茶を輸入しまくっていたことも分かる。お茶も発酵食品の1つなので、発酵好きとして嗜むのもよいですな。

 

そしていよいよ日の出だ。

ご来光を待つのはいつぶりだろうか。最後にいつみたか記憶にない。

やはり日の出は美しい。嫌なことやこの先の人生の不安さを吹き飛ばしてくれる。まさに天然のストロングゼロだ。

別に雲来でなくてもいいので、人生に疲れた人はご来光を見に行った方がよい。地位や名誉、お金は大事なものではあるけど、人生は楽しんだもの勝ちなのだ。(そもそも勝ち負けという表現が不適ですね。)

やりたいことを実行できた人は尊敬できるし、自分もそうありたいと思う。

 

雲来を歩いていると昨日の夜にパーイウォーキングストリートにあるモスク前で席を譲ってくれたヒジャーブの女性に遭遇した。その時は互いに軽い会釈だけしたが、スクーターに乗ってサンティチョン村へ行こうとしたときに話しかけられた。

 

「雲来綺麗でしたね。ようこそ、タイランドへ」

 

数年も経てば、この時の出来事は記憶の隅へと追いやられてしまうが、記録として残すことでそれは半永久的に残る。記録を読み返したときに、記憶が蘇れば充分である。

写真や動画は時間の一部分を切り取ったのみであり、どうしても1つ1つを繋ぐ間に起ったことは残らない。やはり時間空間での印象的な記録を残すには、手記が最適であり、今日のこの出来事はすぐに記録に残した。

 

サンティチョン村は観光客が買うお茶や中国服、栗などのお金で生計を立てている村である。雲南の街を模しており、タイにいるのに中国にいる気分を味わうことができる。

 

パーイウォーキングストリートでは欧米人だらけだし、少し走れば中国系タイ人ばかりだ。自分がいまどの国にいるのか分からなくなる。

そしてここでもヒジャーブの女性2名に出会った。流石に出会いすぎなので、互いに苦笑いをし、背を向けた。

 

宿へと戻り、無料朝食をいただいた。ジョーク(粥)をはじめて食べたが、鳥の出汁とトッピングのドライガーリックが食欲をそそらせる。美味しさのあまりお替りもし、更にトースト2枚を食べてお腹はパンパンである。

昨日から暴飲暴食ばかりだ。パーイという街にいるので、ボイン暴食と言ってもよい。(最低)

 

パーイにも市場があるようなので、バイクで向かった。

規模は小さく、野菜や調味料が中心に売られていた。山岳地帯だからか、海鮮食品はみかけなかった。

 

大麻コーヒーのサーバをみつけたが、誰が飲むのだろうか。この写真をみると大麻のラテアートが出てきそうだが、おそらく出てこない。完全なるミスリードである。

こちらの市場でもトゥアナオをみかけたので、2種類購入。どちらも円盤タイプであるが、食べ方が異なる。薄い茶色のものは直接食べるタイプで、濃い茶色は火で炙って食べるとおばちゃんに教えてもらった。

乾燥したキワタの花のガク。その辺に落ちてても食べ物だとは思えないな。

旅行をしはじめてから1週間経過するが、3日分の服しか持ってきていないので洗濯をしにMAMA LAUNDRYへ行ってみた。お金と洗濯したいものを渡すと、洗濯と天日干しまでしてくれるのだ。

しかし残念ながら定休日。仕方なくコインランドリーへ行ったが、なんと全て使用中。

 

大至急洗濯する必要もないので、先に予定していた「Bamboo Bridge」へ遊びに行くことにした。Bamboo Bridgeへの道は凹凸が激しく、走りづらい。パンクするのは嫌なので、20km/hでゆっくり走行した。

途中で水牛の群れに遭遇したが、糞犬どもと比べると可愛いものである。

 

Bamboo Bridgeの入場料兼整備費として30B支払い、入場。一面に田んぼ(トゥンナー)が広がっている。

面白いことに複数種類の苗が育てられている。紫、茶、緑と米の種類でこんなに違うものなのか。近くでみても、着色した様子はなかった。

 

田んぼの上を散歩することができるのだが、散歩道は全て竹で作られている。そのため、歩くとミシミシ竹が軋む音がする。

乾季であるからか、田は干からびていた。稲の成長と時季に合わせて観光するだけでも絵になると思う。

 

鯉の餌やりをする場所があったので、やってみることに。餌代はこの辺りの学校での昼ご飯として使われるようだ。

よく見ると鯉だけでなく、鯰もいるではないか。鯉を押しやり、餌を奪っていく。隣にいたタイ人のオジサンが、「鯉:プラーカープ」「鯰:プラードゥック」と教えてくれた。

私は教えてもらった単語をつぶやきながら、餌撒きをした。"花咲か爺さん"ならぬ"餌撒きオジサン"であった。そして芸能人がパンピーに手を振る気持ちも少し解った気がした。

橋を進んでいくと途中から水牛の群れに出くわす。泥沼で水浴びをしている水牛の群れがいたので橋から降りて近づいたところ、後ろから子牛が数匹やってきた。

「可愛いなあ」と眺めていたら、親牛もやってくるではないか。子牛のお尻を頭突きして、泥沼に追い立てたと思いきや私の方に迫ってくるではないか。

慌ててその場から逃げ、竹の橋へと上がった。ルートを外れるものではないと、大反省である。

Bamboo Bridgeの突き当りには寺院「Wat Pa Huai Khai Khiri」があり、階段にファランが座っていた。角度的にパンティーが丸見えだったので、ドキッとしてしまった。極楽浄土とはこのような世界なのだろうか。

簡単にお参りだけして、来た道を引き返すことにした。途中には展望台や竹馬もあるので、飽きずに歩くことができる。ただ、暑い中を1時間程歩くことになるので朝や夕方に来るのがよいと思う。

 

そして、パーイ市内にあるランドリーへと向かった。

ランドリー専用のコインを40Bで入手し、回そうとしたがやはり機械が空いていない。機械の前で待っていると、黒人のお姉さんが「洗濯機の前に自分の荷物を置いておかないと無理だよ」と教えてくれた。正確には、”あまりに流暢な英語だったので、全く聞き取ることができなかったので、実演してもらった”である。

待つこと約25分で機械が空いたので、洗剤を投入してスイッチON。

洗剤はランドリー内で売っていた5Bのやつ。爽やかそうなデザインのものにした。

 

洗濯を待つ間、「Raja Bamee Khiou」というお店にお昼ご飯を食べに行った。

 

バミーが人気のお店であるが、異様に米が食べたかったのでカオマンガイトートを注文。価格は40Bであった。

パーイは田舎にあるからか全体的に物価が安く、財布に優しい。バンコクならこの1.5倍はするだろう。

ガイトート、つまりは唐揚げなので味にハズレはなく、苦手な脂肪分も少ない。スイートチリソースをかけて美味しくいただいた。

 

ランドリーへ戻ると丁度洗濯が終わるタイミングだった。回収し、宿の乾燥機にかけベッドに横たわった。寝不足だったこともあり、いつの間にか爆睡してしまった。

水をあまり飲んでいなかったからか、頭がくらくらする。タイ北部で涼しいとは言え、日中は30℃を越えてくる。熱中症になる前に慌てて水分補給をした。

 

時刻が16:45となったので「Wat Prathat Mae Yen」へとサンセットを見に行くことにした。通称ホワイトブッダが鎮座しており、パーイの街全体が一望できるスポットになっている。

バイクを走らせ、入り口に着くとランドリーで遭遇した黒人のお姉さんに再開。ここから始まるアバンチュールな関係・・・とはならず、挨拶だけした。

 

ここから先は糞犬は出禁。建設者は分かってらっしゃる。

長い階段を上っていくと仏塔に着くのだが、手すりには干支を描いたレリーフがありました。龍としては"ナーガ”、蛇として"キングコブラ"が刻まれているのが日本と異りますね。他にも仏教の教えを表現した?レリーフがありました。

 

頂上では瞑想する者、景色をみて黄昏る者など多くの人間が集まっていた。パーイにいると不思議なことにヨガをやりたくなるし、スピルチュアルにもなる。そうだ、宗教でも始めるか。(冗談です)

沈みゆく夕日と共に少し旅行を振り返ったりした。

 

日も落ちたので、ナイトウォーキングストリートへと繰り出した。

2回目だと慣れてしまい、初日の新鮮さが失われている。基本的には屋台や店に並んでいる商品は同じで、作っている人や配置が異なるだけである。

 

でもせっかくなので、色々食べて楽しむ。

まずはCape Gooseberry。日本のお盆によく見かけるホオズキである。ミニトマトのような見た目をしており、中には細かな粒が入っている。水分は少なめで、酸味の強い枇杷のような味である。

個体差が大きいのか、甘みを感じるものから青臭いものと味にばらつきがある。正直苺の方が美味しい。

 

次に食べたのは"SUSHI"である。日本を離れてからまだ1週間ほどしか経っていないが、日本食が恋しくなってきたのだ。5Bの安い寿司を中心に7つ購入した。全部で40B。

ワサビを付けてもらったが、水っぽい。絶対水で薄めている。

いくらを食べてみたが、当然人工いくらである。プチプチ感はあるが、味や特有の粘り気は一切ない。

他には異様に黄色いマヨネーズがかかった寿司などを食べた。

ただ、どの寿司もすし酢を使用しておらず、米が粘つくことが気になった。まさかタイを訪れて初めてシャリの重要性を知ることになるとは。

でもカニカマサラダとポークカツ寿司は美味しく、この2つはリピートしたい。

 

食べた後はまるで日本の寿司職人のごとく、作っている様子をみていた。どうやって学んだかは分からないが、寿司っぽい握り方をしていた。本当の寿司職人から見たら酷い有様なのだろう。

でもこのような人たちに正しい握り方を教えてあげる人がいるだけで、店の人気は出るだろうし、日本の寿司が間違って広がっていくこともないと思う。

自分が食べたのは「タイ寿司」という全く異なる料理だったのだ。そう捉えるとおかしいことは一切ない。

 

安いと思い屋台でちょくちょく買いをしていると、案外いい値段支払っていることがある。これを私は”屋台マジック”と言う。

今日は屋台巡りは切り上げ、レストランでしっかりと食べることにした。

量が多くて美味しい口コミのあった「Gorilla Cafe and Restaurant」というお店だ。ウォーキングストリートから少し離れた場所にあり、バーやマリファナ店に紛れこんでいる。価格は安く、ファラン向けにメニューも英語が併記されている。

 

好物のタイ料理の1つであるパッシーユを注文した。

コミ通りのボリュームだ。それでいて味は美味しいし、味変用のマナオも付いている。ここは当たりのお店である。

Lotus's go freshにてPepsiラズベリー味を買い、宿に帰って飲んだ。

充実した1日であった。今日は熟睡できるとよいな。

ジューガンマイクラップ

 

 

 

タイ旅行8日目(2024/01/06)

6:30起床。大通りに面しているとこうも寝れないものなのか。夜中に何度か目を覚ましたので若干寝不足だ。

行きたいレンタルバイク屋の開店が9:00なので、とりあえず朝ご飯を食べに外へ飛び出した。「カオソーイメーサイ」というカオソーイの人気店が宿の近くにあるので行ってみた。

GWに訪れた北タイ料理の名店「フアンムアンチャイ」の対面にあり、存在は知っていたが、ちょうどその日はドイプイ村にてカオソーイを食べていたので見向きもしなかった。

今回は食べるのを楽しみに訪れたが、残念ながら"2024/1/6-7は休業"であった。行き先を失い、迷える子羊となってしまった。

オサレなカフェでパンケーキでも食べようかと考えたが、要望にあうお店は見つけられなかった。結局セブンイレブンでほうれん草のハムチーズサンドとコーヒーを購入し、店前でヤンキー座りをして食べた。(道行くタイ人にガンを飛ばした)

 

美味しいカオソーイorオサレなパンケーキを食べて優雅な朝を過ごす予定だったが、神はよく見ているようだ。アーメン涙

しかしタイで飲むコーヒーはどれも甘い。今回はコーヒーメーカーを利用してみたが、ブラックではない。苦みが欲しい人は日本からインスタントコーヒーを持って行った方がよいだろう。

 

気付いたら8:40になったので、レンタルバイク屋「マンゴスクーター」へ向かった。

店内に入ると「バイクどれにする?」と声がけされる。125ccのスクーターを選び、色はチェンライでお世話になったバイクと同色の赤色を選択。事故無く過ごせたし、ゲンを担ぎたいのだ。

 

本当は乗り慣れたHONDA Scoopiにしたかったが、取扱っていなかったのでYAMAHA Fino125にした。

店員さんに「どこまで行く予定なのか?」と尋ねられ、「パーイとメーホンソン」と答えると「パーイまではいいが、パーイからメーホンソンは125ccでは駄目だ。少なくとも150cc以上は必要だ。アップダウンが激しくて無理」と言われる。

「そんなに路面が悪いのか?」と聞き返したが、やはり「アップダウンが激しい。距離が長いから故障リスクがある」という回答。

150ccを乗ろうか悩んだが、乗り慣れたバイクがいいし、現地の人が忠告する話を無視してまで無理に乗る必要はないと判断し125ccのままにした。

後から調べると125ccでは馬力が足りず、坂を登っていかない箇所があるそうだ。そしてタイのレンタルバイクは10万kmを超えているのはザラで、長距離走行では当然故障リスクが上がる。

 

Google Mapを見る限りでは、舗装路だし、坂もきつそうでなはい。タイにはバイク修理屋の数は多く、各地に点在しているので、故障しやすいのは間違いない。チェンマイで借りたバイクでメーホンソンループに挑戦し、途中で壊れた実績が何度かあるのだろう。やはり止めておくのが安牌だ。

 

1週間借りることを契約書にサインし、バイクの鍵を受け取った。

ヘルメットは少し臭かった。こればかりは仕方がない。

 

早速走り始めるが、大都市チェンマイだけあって交通量がチェンライの比ではない。大型ショッピング施設MAYAの前は特に多かった。

市街地を脱出したら車通りが突如減る。後は車の流れに乗りパーイへ向かうR1095まではひたすらにR107を走るだけだ。

 

途中でガソリン給油をした。

B-RIDERは最初からフルの状態だっただけに、マンゴスクーターのこの対応は不満である。当然私もフルの状態で返却するつもりはない。契約書にもフルにして返す記載はなかったので、もし請求されたら強く主張しようと思う。

そしていよいよパーイへ向かうR1095に出合う。

道は整備されており、道幅は広く、交通量も少ないので非常に走りやすい。牧場に立ち寄ったら放し飼いされている孔雀がいて驚いた。

 

Google Mapをみるとカーブのきつさが視覚的に伝わってくる。でもスクーターで走るとそこまでカーブの強さは感じない。むしろカーブがあった方が楽しく走れる。

走りにくさは日本の山奥の方が、道幅は狭く、悪い路面状態、急カーブと軍配があがると思う。

正直拍子抜け感はあるが、Rak Chang View Pointを超えてからの小刻みカーブでは中々にGを感じた。スクーターだったからよいが、バスや車では乗り物酔いして吐く人が続出するわけだ。ゲロ吐きの標識もあり、スクーターで来たのは正解であった。

コンビニこそないが、道中にはトイレやカフェも点在しているので休憩場所に困ることはない。ハロウィン仕様のカフェもあり、「Welcom Thailand」ということで写真を撮っていただいた。

 

カンボジアからタンデムでサイクリングしているカップルもみかけた。

この坂道を自転車で走るなんて素直に「すごいなあ」と思う。と同時に既に自転車でタイを走ろうと思っていない自分がいることに気付いた。

数年前であれば、自転車で走る側であったのだがバイクと言う文明の力を手にし、腑抜け野郎になってしまったようだ。

バイクで走ること2時間半。Memorial Bridge(ターパーイ橋)に到着した。観光スポットになっているが、着目すべきは現行の橋ではなく、第二次世界大戦中にここに架けられていたという史実である。

 

第二次世界大戦は日独伊の三国同盟vs英米中仏ソ連という構図で行われた戦争である。当時の日本軍はイギリス軍の拠点となっていたインパール(インド)から仲間である中国へ支援物資を運搬するルートを封じようとするインパール作戦を実行しました。

日本軍はまずはビルマにいるイギリス軍を排除し、ラングーン(現ヤンゴン)を治めました。その後、インパールのある東インドへ侵攻するのですが、山岳地帯であり、食料や物資の補給が困難な過酷な状況でした。

そこをイギリス軍に狙われ、インパール作戦は失敗に終わるのですが、そのときにチェンマイからメーホンソンへと日本軍への救援物資や軍隊を送る際に建設された橋こそがターパーイ橋なのです。

当時の橋は当然無くなっており、再建されたものが現在の橋になります。

観光地なのですが、橋が架かっているだけなので面白味はありません。とりあえず写真だけ撮り、その場を後にしました。

 

その後は「パーイキャニオン」へと向かった。ここはタイのグランドキャニオンと呼ばれており、パーイでは最も有名な観光地と言っても過言ではない。

 

入り口にバイクを止め、階段を上がること数分でキャニオン到着する。何故か大麻が売られているが、これを吸って気持ちよくキャニオンから飛び立てという意味なのだろうか・・・

 

思いの外、人が少ない。サンセットを眺める場所に真昼間に来たから当然ではある。

日本では中々見れない光景に心躍り、アンコール沸かす。

道幅は広いが、岩壁全体が侵食により細かな砂と化しているのでとにかく滑ります。一度滑ってしまい、前腕を擦ってしまいました涙

しかも狭い砂のゴルジュを通過する必要があるので、パーイキャニオンを出るときには全身砂だらけになってしまいます。しっかり砂を落とさないとゲストハウスの人に怒られるレベルで汚れます。ですのでオサレな服装は着てかない方がベターでしょう。

 

そして再びバイクを走らせ「Love Strawberry Pai」へ冷やかしに行きました。

(冗談です。苺が食べたくなったので、入ってみたら量が多く、値段も高かったので速やかに出ただけです。)

 

長閑な道を走ると「I am PAI」のモニュメントがありました。グラビアアイドルにこの前へ立ってもらい写真を撮ってもらいたいですね。(ゲス顔)

そしてバックパッカーの聖地パーイの街へ到着した。まずは2泊お世話になる「Society house Luxury Hostel Pai」にチェックイン。

受付にパスポートを忘れてしまう大失態をするが、親切なスタッフの人に教えてもらい事なきを得ました。部屋は木の香りが漂い、清潔感があります。

ただ、16人部屋なので夜にファラン達が大騒ぎや大麻パーティをやらないか心配ですね。

 

宿はかなり広く、1つの集落にいるようで居心地がよいです。このゲストハウスにいると時間の流れが遅く感じるのも納得。

宿で一息ついた後は、バスステーションへメーホンソン行のチケットを買いに向かいました。うっかりとスクーターを倒してしまい、ハンドルの一部が擦れてしまいました涙

スクーター返却時に過度な請求をされないとよいのですが・・・

バスステーションはチェンマイやチェンライと比べるとこじんまりとしております。

無事に購入することができたので、街中を散歩します。

 

知らない街を探索するときは旅行中で好きな時間になります。より日常に近いところに魅力を感じるのです。

しかしこのパーイと言う街は本当に欧米人が多い。バックパッカー、ヒッピー、ローラースケートで走りまわる黒人の方。多種多様な人間がはびこっております。

正直多くの人が想像するタイとはかけ離れた場所なので、好みは分かれるでしょう。

 

お昼ご飯をまだ食べていなかったので、「ノッパガオ」というお店に行ってみた。

 

注文すると中学生くらいの男の子が調理し始めた。先日チェンライの「Kra Prow Factory」で食べたガパオと比べると油はギトギト、お米も所々固まっているし微妙。それでも日本で自分が作るガパオよりは美味しいんですけどね。

 

貸し切り状態だったので、40分ほど長いさせてもらいました。

喉が渇いたので、セブンでM-150というタイで有名なエナジードリンクを購入。愛知県民からするとM-150は味噌に見えてしまいます。リポDやモンスター、レッドブルとは違い、グレープフルーツジュースのような味でした。

三輪のサイドカースマホをいじる少女。タイらしい光景でほっこりしますね。

日が落ちてきたので、ウォーキングストリートへ。

アンケートすると帽子が貰えるようでしたので、回答。タイ語でよく分からなかったが、とりあえず宿泊している宿と国と名前だけ記入した。デザインや配色は微妙だが、記念品としてはいいですね。

 

ここからは食べ歩きと買い物だ。食べてばかりいてデブまっしぐらである。

購入したのは、苺、タイドーナッツ、バナナマンゴースムージ、カオフン、カオニャオマムアン、Tシャツとタイパンツである。総計390Bと使いすぎてしまった。

苺であるが、せっかくなのでタイ語を使おうと購入するときに「パーサータイワーアライ」と聞いてみた。「タイ語で何て言うの?」である。

でも聞いた対象がよくなかった。苺はタイ語でもストロベリーと呼ぶようである。「ストゥロオウべリィー」と独特の訛りあったが、聞き取りに困ることはない。あと、店員さんが可愛かった。

 

タイドーナッツはサーターアンダギーのようで油っこい。一口かじると油が染み出してくる。甘さも控えめなので、油の塊を食べているようだ。3つで20Bという安さとカロリー摂取はよい。

 

スムージーはマンゴー+バナナ味にしてみた。ここの屋台のスムージーは氷が少なく、使用する果実の量が多い。そのため、水っぽくなくドロッとしている。果物をケチらず使用している良店だ。価格も40Bと安価である。

 

そしてハラル料理としてモスク前に構えている屋台でカオフンを食べた。2名のヒジャーブを被った方に席を譲っていただいた。

 

液状になったひよこ豆が黄色麺にかけられており、カボチャのような味がする。

トッピングとして唐辛子、パクチー、葱、ナンプラーがのっている。東南アジアらしさのある味。どうやら自分で完売になったようで、後から来たお客さんはソムタムばかり注文していた。

 

眺めていると一つ揉め事になりそうな件があった。

ファランが「Noスパイシー」と言って注文。しかし調理器具に唐辛子が付着しているからか、実際に出来上がったものは辛さが残っていたようだ。一口食べて「辛いじゃないか」と文句を言う。そして返金を要求していた。

結局「これは仕方ないことだ」というタイ人おばちゃんの押しに負け、ファランが去っていった。おばちゃんは私の方をみてヤレヤレというジェスチャーをした。

辛さの定義の違いにより生じた問題であり、自分はお互い悪いと思うので愛想笑いで返した。

 

TシャツはSサイズとMサイズか散々悩み、Sサイズを選び宿で着てみたが、ピチピチ過ぎて着れたもんではない。ヘソが出てしまう。

日本に帰ってエミタさんに渡したが、それでもキツかったので、結局小学1年生の義姪のパジャマになった。なぜ気付かないのか自分でも不思議だが、今後は可能な限り試着しようと思う。

 

ウォーキングストリートには大麻が当たり前のように売られている。

こんなに売られていると気になって吸いたくなるが、理性が勝った。自分にできるのは写真を撮ることくらいだ。そう、セルフ大麻というやつだ。

 

十分に楽しんだので、宿へ戻ったが欧米人軍団は誰もいなかった。夜な夜なバーやクラブでビール片手に騒いでいるのだろう。

夜食にカオニャオマムアンを食べた。練乳には塩が含まれているのか、甘さは控えめ。

その分マンゴーの甘さが相対的に強くなる。やっぱタイのスイーツと言えばこれですね。

 

寝る前にもち米を食べるなんてギルティである。そもそも今日は食べすぎている気がする。この宿は市街地から離れているから夜は静かだ。

 

ゆっくり寝て、明日はのんびり過ごすことにしよう。

ジューガンマイクラップ

 

 

 

 

 

タイ旅行7日目(2024/01/05)

7:15起床。部屋にいた陽気な欧米人軍団がエアコン温度を下げたせいか寒くて目が覚めた。彼らは半袖短パンで富士山に登ったり、常時夏の格好をしている。遺伝子的に寒さ耐性があるのか、身体の違いを感じた。

 

共用キッチンでコーヒーを飲み、身体を暖め、ストレッチをする。

今日は美味しい料理ばかり食べてプヨった身体に鞭を打つのだ。そう、筋トレだ。

チェンライ市内にトレーニング施設は何店舗かあるが、バイクで数分、マシーンの種類が豊富、且つ安価という要件にマッチしたPro Gymへ行くことにした。

 

店内に入り、受付で50B支払うとカードキーを受け取れる。受け取ったカードキーを改札にかざすことでトレーニングエリアに入れる仕組みだ。

コミ通りマシーンの種類が多い。店舗規模や種類は名古屋の市営ジムを遥かに凌ぐ。

設備は古いが、ウエイトリフティングもできるし、ケーブルマシンも5台以上有している。設備待ちによる渋滞もこのジムであれば発生しないだろう。

 

更衣室、シャワーも備えている。

当施設にはエアコンは備えられていないが、この時期のタイ北部は早朝だと20℃くらいの気温なので快適にトレーニングすることができる。タイ人女性はトレッドミルや二の腕を鍛えているしている人が多かった。

背筋と腹筋、胸筋に刺激を入れて朝から爽やかな気持ちになる。タイの1つの街に長期滞在して、こういうジムに通う生活に少し憧れる。

 

セブンイレブンプロテイン飲料を購入。チョコ味を選択したが、濃厚でチョコの味が強くて美味しい。勿論、粉感はないのでトレーニング後に持ってこいだ。ちなみにタンパク質含有量は28g、価格は44Bとなる。

筋トレ後は朝ご飯を食べに「Num Ngeo Wan Dee」に行ったが、Google Mapが示す場所にお店がない。どうやら閉業してしまったようだ。

どうしてもナムニャオが食べたかった私は、近くにある「ナムニャオパースック(スックおばさんのナムニャオ」へ向かった。店は大盛況で、既に何名かが待機していた。

 

リストに名前を書いて待つスタイルだったので名前を書くが、自分以外タイ語であった。ローマ字が異常者のように見える・・・

絶対名前を呼ばれないと思い、名簿の前で待つことにした。案の定、店員さんは名前を見て戸惑っていたので、手を挙げて「It's me」と言って猛烈アピール。無事に店内にあんなにしてもらうことができた。

サイズと肉の種類を聞かれたので、「ヌア、ミディアム」と答える。

トマトベースのスープに大量のモツとカノムジーンが入った料理がでてきた。もやしとライムが付いてくる。これこそがナムニャオで、タイ北部でカオソーイに並ぶ人気麺料理である。

 

スープはピリ辛でひりひりくる。モツの中に箒の先っぽのような食べ物が入っていた。モツの1種かと思い食べてみたが、モツのような柔らかな食感ではない。繊維感の強いマイタケのような食感で、キノコの一種かと思った。後で調べたところ、「ドークギアオ」というキワタの花のガクを乾燥させた食べ物であった。

食べたことのない味に舌鼓を打つ。ただ、豚の血ゼリーが大量に入っており、これには参った。味こそ強くないが、血と聞いて心が無意識に拒絶しているのだろう。栄養面ではビタミンB2や鉄、タンパク質が取れてよいのだが、昨日食べたガパオの方が口に合った。

お店には豚皮スナックも売られており、豚を無駄なく使用していることがわかる。

お腹が膨れたので宿へと戻り、ベッドでゴロゴロした。陽気な欧米人軍団はまだ寝ていた。今日はチェンライからチェンマイまでバスで戻るのだが、バスの出発は15:00なので時間が有り余っている。

何して過ごそうかとネットサーフィンしたいたところ、猫カフェを思い付いた。

チェックアウト時間ギリギリまでダラダラとし、まずはバイクを返却しにB-RIDERへ向かった。

到着したが店員さんは不在で、15分ほど店内で待機した。欧米人が一人いて、「あなたはレンタル屋の人か?」と尋ねてきた。彼らからするとアジア人は同じに見えるのだろう。

バイクを借りたときに案内してくれたグラサンニキではないが、店員さんが戻ってきた。バイクの鍵を返し、簡単なバイクの外観チェックとガソリン量だけ確認され、無事に返却完了。

4日間だけのレンタルであったが、ここでバイクとはお別れだ。走行性も良く、貴重な経験をさせてもらっただけに愛着が湧き、名残惜しい。

タイ旅行とバイクの相性の良さに気付けたのでまたチェンマイでも借りようと思う。バイクとのよい出会いがあるといいな。

また利用したいと思える本当に良いバイク屋であった。この店を紹介してくれた関西人のおじさんには大感謝だ。

 

マッチ売りの少女ならぬ量り売りのお婆ちゃん。

猫カフェ「CAT 'n' A CUP」はチェンライバスターミナルの近くにあった。何度か横を通っていたのに猫の存在には全く気付かなかったのだ。人間という生き物は気にとめて景色をみてないと全く感知しないのだ。

ケーキかドリンクを1つ注文すれば猫がいる店内で食べることができる。蜂蜜ミルク(70B)を注文し、店内へ入った。入り口付近にも猫がいるので部屋に入るときは注意が必要だ。

店内には猫が10匹以上いた。勉強している人、猫ではなく彼女といちゃついているインド人カップルなど様々な人間がそこにはいた。

 

猫カフェは臭い、猫が疲れていて可哀そうと聞くが全くそのような感じはしなかった。清潔感があり、猫はやせ細っておらず毛並みも良かった。

猫好きには天国のような場所である。糞犬と違って襲ってこないのがよいですね。

猫と戯れ、2時間ほどゆっくりさせてもらった。RIPENのザックを気に入ったようで、全然離してくれなかった。

時刻は14:00。少し遅いが昼ご飯を食べることにした。

訪れたのは「Thai Food easy style and Pad Thai」という老夫婦が経営されているお店だ。パッタイを注文すると、その場でお爺さんが作り始めてくれ、お婆さんが配膳してくれた。

 

量が多く、エリンギ、ピーナッツ、カイダオ、ニラ、豆腐、カイダオと具材が盛り沢山入っている。しかも味変用にマナオも付いてくる。

ナッツは鉄鍋で炒られており、香ばしい。味の濃さも丁度よく、文句なしに美味しい。自分が日本で作ったパッタイの不味さがよく分かる。

 

完食し、バスターミナルへ戻る。14番口には既にバスが待機していた。

 

チェンマイまでは悪路ではないので、車酔いはないだろうが、念のため、出発前にDiminという酔い止め薬を飲んだ。初めて飲む薬なので効果は不明だ。

 

バスに乗ると早々に寝てしまい、気付いたら休憩所であるメーカチャンバスターミナルに到着した。ここの中華まんが美味しいのだ。

甘いものが食べたい口だったので、Creen been味を選択。クリームパンのような味を想像していたが、行きのバスで食べたBlack been味同様に豆をすり潰した感が強い。

さつまいものような餡であり、優しい甘さだ。生地は相変わらずフワフワで、安定の美味しさだ。

 

このお店の人はバスが運行し続ける限り、定期的な儲けが生まれる。比較的安定した収益が手に入るのは羨ましいが、ずっとこの地に居続けることになる。

それはそれで不都合があるし、土地や時間を制限されることなく自由に働けるようになりたいと思う。

 

メーカチャンバスターミナルからチェンマイバスターミナルへは90分ほどで到着した。日は完全に落ちており、真っ暗だ。ターミナルを歩いているとTukTukのおっちゃんが声掛けしてくる。無視して、Grabバイクを手配した。

 

ネオンやバイクや車の明かりが道路を照らしている。城郭を回り、ターペー門を越えた場所に目的地「Aroon Rai」はある。

 

ここへは「ゲーンハンレー(汁+豚肉)」を食べに来たのだ。豚肉なのにムーではなく、ハンレー?と思うかもしれないがこれが正しい。

なぜなら、ゲーンハンレーとはミャンマーから伝わった料理であり、ミャンマー語で豚肉をハンレーと言うからだ。タイカレーでは珍しく、ココナッツミルクを使用していない。でも玉ねぎやパームシュガーが使用されているので甘い。そして別名ショウガカレーと言われるほどショウガが大量に使用されている。

 

早速食べてみたが、豚肉は角煮のようにトロトロで柔らかい。口に含んているとホロホロと肉が崩れていく。タイ米にかけると米が汁気を吸収し、豚脂でコーティングされる。そして米が滑らかに胃へとおさまっていく。

イカレーの中では最も美味しいと思えるカレーであった。昨日食べたガパオライスといい、食事の大当たりが多い。

日本人の口にも合うし、心の中で「アロイアロイマーク」と叫んだ。世界の中心で愛を叫ぶのではなく、チェンマイの中心でアローイを叫ぶのだ。

 

最高の料理を食べれたので、Grabバイクで本日の宿「Box hostel N Cafe」に向かった。

そしてここから少し焦ることになる・・・

なぜなら宿の入り口が閉まっているのだ。

チャイムを押しても誰もやってこないし、そもそも人がいる気配がしない。お店の中は綺麗に掃除されているので潰れてはなさそうだ。

よくよく扉をみると「We Chatで連絡してくれ」と書かれていたので、We ChatをダウンロードしてTELすると「サワディーカー」と呑気な声が聞こえてきた。チェックしたい旨を伝えるといきなり扉のパスワードを言い始めた。

「XXXX45#」と"#"をスクエアと言うので、ずっと何を言っているか分からなかったが無事に開錠することができた。

 

お店は1Fがカフェで、2~4Fがゲストハウスになっているようだ。2~4Fにはカードキーが必要だが、どこにあるか分からない。一難去ってまた一難である。

再びWe ChatでTELをし、カードキーの場所を聞いた。「入り口を入って3歩のところにカードキーがある。あなたの部屋はRoom Bだ」ということなので、入り口から3歩歩いて周囲を見渡すと、置いてあった。

遠隔指示を受けながら、拳銃や麻薬売買をしている映画の1シーンのようだ。

これで部屋に入れる・・・と思っていたら、今度は宿の人からTELが。

「261Bを宿代として、BOXに入れておいてくれという」

「そんな箱はどこにある?BOXなんて見つからないぞ」と伝えると、We Chatで連絡すると言ってTELは切れた。

送られてきた画像をみたが、どう見てもBoxではなく、鞄であった。とりあえずお金を鞄に入れ、部屋へ行った。

部屋には誰もおらず、真っ暗だ。そもそも今自分がいるビルにはスタッフやお客さん含め、私一人しかいない。

はたから見たら夜中の誰もいないビルに忍び込んでいる外国人の泥棒ではないか。

賑やかなゲストハウスに人っ子一人いないのは本当に不気味だ。しかも今いるのがチェンマイと言う都市なので尚更である。

シーツや枕カバーは自分でつける必要もある。床はワックスでつるつるで異常に滑る。しかも大通りに面しているため、部屋にいてもバイクや車の音でうるさい。

色々と腹が立ってきた。カフェとしては続くかもしれないが、ゲストハウスとしては数年後に潰れていると思う。

 

部屋にいても不気味さで落ち着かないので、最寄りのセブンイレブンまで散歩し、豆乳飲料だけ買って戻った。

 

こういうときは早く寝るに限る。日が出れば不気味さもなくなるだろう。しかもここの宿はWifi環境もよくない。

二度と泊まりたくないと思うゲストハウスでしたとさ。

 

ジューガンマイクラップ

 

 

 

 

 

 

 

タイ旅行6日目(2024/01/04)

7:30起床。震えながら起きたこともあり、熟睡はできなかった。用を足してから宿にある展望のよい場所へ行ってみた。目の前には畑が広がっており、のどかである。歯を磨きながらゆっくりとした朝の時間を過ごす。

 

宿で朝ご飯を食べることもできたが、”カオレムフン”というタイ北部やミャンマーシャン州にすむタイヤイ族の料理を食べに「カオレムフンパーナン」へバイクを走らせた。

現在イートインはやっておらず、テイクアウトして宿に戻った。価格は30B。店の横には糞犬がいたが、日が出ていると大人しくて可愛い。

 

レストスペースにある器を拝借し、ビニール袋の中身を全て入れてみた。

タイのテイクアウトはパンパンになったビニール袋で受け取るのが定番であるが、全く液こぼれしない。輪ゴムの止め方に工夫がされており、一度輪の先端を輪の中に通りし、きつく締めた後にグルグル巻きにしている。

 

辛いスープに細かく刻まれた落花生を混ぜ、浸ったキャベツやウンセンを食べる。

一口目は辛くないが、食べていると徐々に辛さが皮膚に染み込んでいく。レムフンの味はスープに打ち消されており全くしない。

レムフンとは豆をドロドロに溶かした後に冷え固めた豆腐のようなもので、使用した豆がひよこ豆だと黄色、落花生だと紫色を呈する。今回食べるカオレムフンは両方使用されていた。日本でいうぶっかけうどんのようなものだろう。暑くて食欲がないときに食べるにはよい。

せっかくなので宿で食べれる無料朝食も食べてみた。タイのゲストハウスに行くと分かるが、ビスケットやクッキーが朝食として出てくることが多い。確かに日持ちするし、量の調整もしやすく、糖分も摂取できるので理にかなっている。でも味がドリアンだったので後味がよろしくなかった・・・

トーストとモンキーバナナも一緒に食べてみたが、こちらは差し障りのない味だった。

 

朝食後は荷をまとめ、次なる目的地「タムルアン洞窟」へと向かった。

現地の人たちの集団に紛れてバイクで走るとその土地に馴染んでいく感覚がするのでよい。

道中でタムルアン洞窟へのルートをGoogle Mapで調べていると後ろからピックアップトラックに乗った兄ちゃんに話しかけられた。

「どこに行きたいんだ?」と聞かれたので「タムルアン洞窟」と伝えると、「Follow me」と言うので、車の後をバイクで追従することに。

しかし、車の速度の速いこと。60km/h出していたのだが、みるみるうちに距離が離れていく。フォローミーとは一体何なんだ?と思ったが、分岐点で停止して待っていてくれた。「ここを曲がれば到着するぜ。」と言い、窓からグッドラックのハンドサインをして去っていった。

 

兄ちゃんの言う通り、タムルアン洞窟の駐車場に到着することができた。駐車場に到着すると集金係の子がやってきて、20B徴収された。

 

駐車場から洞窟までは1kmほどで、シャトルバスと徒歩の選択ができるが、景色をみながら向かいたかったので徒歩を選択した。ちなみに私以外は誰も徒歩では行かなかった。

今回訪れたタムルアン洞窟は映画「13人の命」の舞台となった場所だ。映画は2018年にここで起こった事故の実話をもとに製作されている。

帰国後に映画を観てみた概要を以下にまとめる。

サッカー部に所属するミャンマーないしタイ人の小中学生が部活後にタムルアン洞窟に探検しに訪れた。しかし雨季が思いのほか早く訪れ、洞窟内に水が流れ込んだ。

洞窟内は至る所から水が浸入し、少年たちは激しく流れる水により戻ることができなくなった。難航したのは、少年たちを見つけることではなく、少年たちを入口まで戻す方法である。真っ暗闇の中、狭い水中を進んでいくのだ。身体の一部が岩に引っかかれば大人でもパニックを起こす。それが少年となれば尚更である。

最終的には医師が鎮痛剤を投与し、意識を無くした状態にて荷物を運ぶように少年たちを洞窟の出口まで運び、全員生還させた。但し、1名の海軍特殊部隊を除いて。

13名の少年が救出され、海軍の人が隊長に「全員生還しました」と報告したとき、「全員ではない」と返したことが印象に残るよい作品だった。

 

ちょうど軍服を着た方が訪れており、合掌されていた。

洞窟の入り口にはマウンテンバイクや救助の時に使用したと思われる備品が展示されていた。洞窟内は入口こそ広いが奥へ行くほど狭くなる。

 

観光客用に明かりが灯されているが、実際にはこんなものは無かったので真っ暗闇であったと想像できる。ケイビングの世界は興味深いが、カマドウマやゴキブリが苦手な私にはちょっとできそうにない。カマドウマに関しては名前を聞くだけで鳥肌が立つくらいだ。

 

無くなった海軍ダイバーであるサマン・クナン氏の像が建てられていた。何故か豚の像も建っていたが、理由は分からなかった。

このような事故現場を観光地化することで、亡くなった方の活躍が未来永劫残っていくことはよい形だと思う。世界中の注目を集めた現場だけに、一度訪れる価値はあると思う。

 

タムルアン洞窟を出て、チェンライへ向けて再出発。

先日チェンライのゲストハウスで遭遇した関西人のおじさんに教えてもらったビエンナーレ会場やバーンダム博物館が道中にあるので、立ち寄る予定だ。

 

買い物ついでにBig Cの駐車場にて自撮り写真を撮ってみたりした。一人旅だと、撮影してくれる相手がいなのが難点だ。自身の写真をSNSにあげる女性の大半はメンズが付属している説を唱えたい。

 

まずはビエンナーレ会場の1つである、Art Bridgeへ訪れた。ビエンナーレが開催される度に展示される作品が変更となり、今年は風景画が展示されていた。

 

日本からは笠井一男さんの"冬景色の中ウサギを散歩する様子を描いた作品"が展示されていた。芸術には疎いので、「ウサギって散歩させる生物なのかな」という感想しか浮かばなかった。

 

この会場に他の展示はなく、食事する場所があるだけであった。ビエンナーレ会場はチェンライに点在するが、メイン会場を除いた会場での展示は少ないようだ。

 

ArtBridgeを出たら、バーンダム博物館へと向かった。

バーンダム博物館は別名「Black House」とも呼ばれており、タイの人間国宝と称されるタワン・ダッチャニー氏により建てられた。黒色の理由はタワン氏が黒色が好きだったためである。

博物館への案内標識も黒く、黒への強いこだわりを感じた。

早速チケットを購入し、見学する。以前は無料だったようだが、現在は80Bが必要だ。

入り口は行って早々に黒い家にお邪魔することになる。部屋の中には水牛や鰐の頭骨や鰐皮、剥製、現代画が展示されていた。怒られるかもしれないが、真っ先に思った感想は"悪趣味"である。

 

タワン氏は作品にて人間の奥底に潜む暴力やエロス、死を表現する芸術家であるため男性器や女性器を備えた木像をよくみかけた。

 

これはオチ○チ○ちゃんばら。サイズが勝る男のドヤ顔がちょっとムカつく。

ストレートな表現もあり、訪れたカップルは「へへへ」と笑い立ち去っていた。一般的な博物館だと思って訪れると、間違いなく変な空気になると思う。でも中にはチ○ポに夢中になる観光客もいたので一概には言えない。

 

館内にはケルン大感謝祭がやっており、kuri-changも便乗してケルンを建ててみた。8段なので周辺に比べて高め。まさに「そびえ立つTower!」である。Diggi-Moもビックリだ。

 

水牛も飼われており、「きっと君の頭骨は展示されることになるよ。」と伝えておいた。

十分に楽しんだので、ビエンナーレ本会場「Chiang Rai International Art Museam」 を目指して走り始めた。

 

20分ほどで会場には到着。

全て竹で作製された半球型のモニュメントが目に飛び込んでくる。Zeroと呼ばれる作品名で、見どころの1つとなっている。

 

落ち着きのある空間で、写真映えする。全て手作業で作っているだろうからその根気に恐れ入る。私だったら竹を切る段階で諦めているだろう。

ハンモックに横たわり、タイ人と一緒にスマホをいじりながら揺られたりした。

 

プロジェクションマッピングで作り出される作品、無音映像、新聞紙作られたカーペット、葛飾北斎富嶽三十六景を模したブロックアートなど多くの作品が展示されていた。

 

会場内には案内してくれる方がおり、お願いすれば無料で案内してくれるが、英語かタイ語のみだ。英語でお願いしたが、「あれはみた?」「プロジェクターで映像を映している」など基本的なこと以外は何を言っているか聞き取ることができなかった。英語のできなさをここでも痛感・・・

 

会場を出発し、本日最後の目的地ワット・ロンスアテンへと向かった。

ここはブルーテンプルとも呼ばれ、ホワイトテンプルとして有名なワット・ロンクンを建てた、チャルーンチャイ氏の弟子によって建築されている。その為、何処と無く近しい雰囲気を感じる。

 

加工無しでも神々しい写真が撮れる。でも仏陀唯一神である仏教国で神々しいという表現は不適切か・・・

ワット・ロンクンと比べると知名度も低く、入場料はかからなかったが、その内入場料取るんじゃないかなと思う。

 

寺院にはトイレがあったが、タイの標識は相変わらず限界寸前まで我慢しているようだ。

バイクを走らせ、チェンライ市内へと戻ってきた。久々に帰ってきたぞ。

 

花と果物の市場があったので立ち寄った。ここでは仏前に供える花が売られているようだ。供えられている花を目にする機会は多いが、販売されている光景を見るのは初めてだ。

 

果物もGolden Sun Grapeやサクラヤシ(サラ)が売られていた。サクラヤシはドリアンやライチ、マンゴーの中間のような味らしく、食べなかったことを後悔した。台湾の釋迦頭もだが、果物は現地で食べたいと思った時に買わないと中々手に入らないのだ。

チェンライをバイクで走っていたら賑わっている場所があった。

旧時計塔があり、時計塔を中心に屋台でごった返している。いつも通り屋台で食べ歩く。

  

メーサイ同様にここでもソーセージを購入。サイウアだと思い購入したが、サイクロークイサーンであった。春雨と米、挽肉が入っており発酵が進んでいるのか臭みが強い。ハサミでのカットも無かったので食べづらい。旅行中に食べれる品数には限りがあるし、あまり同じ物は買わない方が良いと思った。

他にはクレープ生地でハムを巻いたお菓子を食べてみた。

クレープ生地は焼いてから時間が経っているのか、中途半端に柔らかく美味しくなかった。バーンダム博物館へ行ったからか、卑猥な形状に見えてしまう(涙)

 

そしてずっと食べたかったパイナップル。売られている光景は北を走っているとよく見かけたのでずっと食べたかったのだ。

 

実はチェンライはパイナップルが有名で、代表品種はナーンレー種とプーレー種である。拳ほどの小ぶりなサイズをしており、甘くて蜂蜜のような香りをすることからハニーパイナップルとも呼ばれている。

実際に食べてみたが、既に剥かれているからか蜂蜜の香りは感じなかった。丸ごと食べれるし、ジューシーで甘い味はしたが、後味に塩気を感じる。屋台で売るため、日持ちするように塩をまぶしたのだと思う。やはりその場で剥いてもらった新鮮なパイナップルがよい。

 

屋台もほどほどに楽しんだら、ガパオライス専門店の「Kra prow Factory#2」へ。GWにタイを訪れたときに食べれてなかったので、ずっと本場の味を食べたかったのだ。

 

メニュー表をまじまじと確認し、Shrimp kraprow Riceを注文。楽しみに席で待っていたら、店員さんが申し訳なさそうな顔をして、「Shrimp No」と言う。

「おおん、海老が無い?新手の冗談か?今すぐ市場で買ってこい!!!」とは口が裂けても言うことはできず、イカに変更した。トッピングでスクランブルエッグを注文し、辛さは1辛(less Spicy)にした。

メニューの種類の豊富さや辛さの選択ができるのがよいですね。

 

料理はすぐにできあがり、金色のスプーンとフォークを使用して食べる。卵を開くとタレが絡んだイカ、唐辛子、バジルが現れた。

 

ここのお店はバジルが特徴的で、パリパリと乾燥野菜のように揚げられている。ただ、油っぽさは全くなく、米やタレを絡めるとしんなりして香り立ってくる。そして唐辛子が味蕾を刺激する。

自分が作ったものも含め、過去に食べたガパオの中で最も美味しかった。チェンライ訪れた全日本人へ勧めたい。

 

店を出ると日が落ちていた。宿へチェックインしに先日宿泊した「Bed Friend Hostel」へ行ったが、予約されてないという。そんな馬鹿な!?と思い、スマホを見せてみると思いもよらぬ回答が。

 

「あなたが予約しているのはBed&Bike Hostelですね。」

 

何てことだ。完全に宿を勘違いして予約していたのだ。幸いなことにBed&Bike Hostelはバイクで数分の場所だったので助かった。

 

部屋に入ると陽気な欧米人と日本人が会話していた。私は会話に混じることなく、部屋の隅へとコソコソと向かい、パーイへの予定を練っていた。

シャワーを浴び、身体をリフレッシュし、屋台で買ったカノムトゥアイを食べに共同キッチンへ。

 

カノム(お菓子)とトゥアイ(皿)という単語で構成されるお菓子で、緑と白の二層から成る。まずは緑の層を米粉にココナッツミルク、パンダン、パームシュガーを混ぜた液体を蒸し固めて作る。その上に米粉、ココナッツミルク、白砂糖、塩を混ぜた液体を入れて再度蒸すことで完成する。

 

白い層はババロア、緑の層はういろうのような食感であった。塩を使っているからか、口に入れた瞬間に塩味がきて、喉を通過する時に胃を縮められる感覚がした。塩味が強かったのだろう。身体が全部食べるのはよくない反応を示したので途中で食べるのをやめた。味は悪くないが、後味がすっきりしないのだ。

 

口直しにフリーのクッキーとコーヒーを飲みながら日記を書いた。

チェンライは明日で最終日だ。美味しいものを食べ忘れないようにしたい。

ジューガンマイクラップ

 

 

タイ旅行5日目(2024/01/03)

6:30起床。標高約1200mの高地だけあって、流石に寒い。体感だと15℃くらいかな。

宿の真横がメーサロン市場なので歩いて行ってみた。早朝から鍋を炒める音や人の話し声、鶏の鳴き声がして騒がしい。このような生活感ある喧噪は全く不快ではなく、むしろほっこりとする。

 

市場にはGWにチェンマイ金曜ムスリム市場でみた黒ゴマ餅(カオプックカー)が焼かれていた。円盤タイプと四角タイプがあるようだ。「一応正月だし、餅でも食べるかぁ」ということで、四角タイプを買ってみた。食べると甘さが広がる。何故か人参が入っており、人参の甘みに感動した。

 

追加で円盤タイプも購入したが、こちらは黒砂糖を上から振りかけてくれた。練乳チューブを吸うくらいの甘党なのでウエルカムである。

 

他にはビーフン炒めを食べてみた。シーユーダムで味付けされたセンミーやセンヤイに炒りゴマとパクチーが振りかけられた軽食だ。葉っぱで包んでくれたので持ち運びもしやすい。何よりもエコである。意外とボリュームがあって美味しかった。

 

宿へ戻ろうとしたとき韓国人のかたに「昨日あなたをチェンライでみかけました。あなたは何人ですか?」と話しかけられた。当方は全く記憶にないが、一体どこで見られたのだろう。割と目立っていることが分かったので派手な行動は慎むようにしよう。

 

市場にある給油タンク。ガソリンの色をみるのは人生初だ。また、ペースト状のトゥアナオも売られていたので購入。このペースで購入しているとトゥアナオ商人になってしまう。

 

時刻は7:30。朝日が照り始め、野犬も大人しくなる時間になったので本日の目的地メーサイへ向かうことにした。メーサイにはチェンセン、ゴールデントライアングルを経ていく予定だ。チェンセンには野犬が多く、ピットブルのような猛獣もいるというネット情報をみてビビッてしまった。そう、私はチキンなのだ。

犬は怖いが、スクーターと一緒に逃げ切るつもりだ。

 

ルートは行きに使用したR1130ではなく、R1089を使用することにした。同じ道を走るのがあまり好きではないのだ。知らない土地ならよりその思いは強くなる。

メーチェンまではひたすら走るだけになるが、走っていて気持ちがいい。ただ、標高に加えて風圧が加わるので寒い。ダウンとパーカーを着て丁度良かった。

ミスナールの体感温度計算式に20℃60%RH、バイク速度50km/hを当てはめると体感温度は9.7℃となる。そりゃ寒いわけだ。

 

途中でパートゥン温泉の横を通ったので、ついでに立ち寄ることに。足湯で有名な場所であるがタイのおばちゃん達は全身浴をしていた。(当然水着は着ていた)

シャワー文化のタイであるが、全身浸かるのも嫌いということではないようだ。

ここでは卵を購入し、自分で温泉卵を作って食べることができる。訪れたのが開店前ということもあり、叶わなかった。

お湯は60℃はあり、熱いがぬめりはない。何時間漬けているか分からない卵もあった。

ヒルボートならぬイルカボート。おしりを嗅ごうとしている糞犬オブジェ。

バイクの運転で冷え切った手先をお湯で温め、その場を後にした。

 

バイクの燃料が無くなってきたのでガソリンスタンドへ駆け込んだ。

タイも日本でいうレギュラーとハイオク、軽油を入れることができ、91、95、E20と表記する。更に91や95にはガソホールとガソリンに分かれており、数字はオクタン価を意味する。ガソホールはガソリンに10%エタノールを混ぜたもので、その分価格が安くなっている。

 

今回、CALTEXにて95ガソホールを給油したが、給油口にはしっりとGasoholと書かれている。95 Goldが純粋なガソリンだ。

ガソリンメータが半分無くなった時点からフル状態まで給油して95Bであった。

 

最初はセルフと勘違いしており、間違えてエマージェンシーボタンを押そうとしたところをスタッフのお兄さんに慌てて止められたのは内緒である。でもこれでガソリン切れの心配なしだ。

 

メーチェンに向けて走行再開する前に、腹ごしらえしにセブンイレブンでホットサンドを購入。チェンマイ到着初日に食べたものが大当たりだっただけに期待値が高かったが、見事に裏切られた。ソーセージ入りを買ったが、タイのソーセージはやはり蒲鉾感が強くて美味しくない。

 

ガソリンを入れてからメーチェンまでは1時間ほどで到着した。

 

走ってると野外トレーニングエリアを見つけたので軽く懸垂をした。蟹のような動きのようになるマシーンも触ってみたが、どこに効いているか分からなかった。

目の前にメコン川がみえる。チベットを源流とし、タイ、ラオスカンボジアベトナムを経由して南シナ海へと流れ出る東南アジア最長の川である。流域周辺では米、漁業が栄えており、人々の生活と密接に関係している。

大自然を目の前にすると遠くへ来た感があって楽しい。

メーチェンには怖れていたほど野犬はおらず、安心して走ることができた。20分ほど走ればゴールデントライアングルに到着だ。記念撮影もしてみた。

 

2017年に高野秀行さんの「アヘン王国潜入紀」を読んでから、ずっと気になっていた場所である。

ゴールデントライアングルとはミャンマー、タイ、ラオスの国境が交わるこの地を指しており、かつて阿片と阿片を精製してつくる非合法モルヒネやヘロインの最大生産地であった。この辺りがアヘンゲシの栽培に適した環境であったこともあり、その生産量は世界の60~70%を占めており、まさに麻薬流出の源流であった。

高野さんはミャンマーのワ州にあるムイレ村に長期滞在し、アヘンの種蒔き~採集まで行っている。そして驚くべきは実際にアヘンを吸引して、中毒状態になっていることだ。当時のリアルな様子を実体験を交えて書いており、民族誌エスノグラフィー、いわゆるフィールドワークの良さが表れた貴重な記録だと思う。

 

現在はケシ栽培を止めて、キャベツやコーヒー、果物などの換金作物に変わっており、完全に観光地の様相を呈している。

自分のお土産としてゴールデントライアングルTシャツを購入し、周辺探索をする。

メコン川を挟んで、ラオスミャンマーを同時にみることができる。

 

そしてここからはラオスへ行くこともできる。入国手続きをしてから行く方法もあるが、ボートに乗って短時間ツアーとして行けるのだ。この短時間ツアーでは出国審査も入国審査も不要で、必要なのはお金だけである。

ツアー費用は800Bと行こうか悩む金額設定だ。でも会社や友達との下手な飲み会よりも良い思い出になるし、行かなかったことを後悔しそうだったので、奮発して行くことにした。(行くことを無理やり正当化した感はある)

お金を支払うと「ボート乗り場に5分後に来て」という雑な説明だけされ、救命具とチケットを渡された。気付いたらお金を渡したお兄さんがいなくなっていたので、不安を覚えながらもとりあえずボート乗り場に向かった。

 

待つこと5分で約束通りボートがやってきた。そして運転手はお金を渡したお兄さんではないか。騙されたかもと思っていたが、杞憂に終わった。

 

ボートが岸から離れ、メコン川に浮かぶ。

金三角経済特区を横目に走るのは不思議な感覚。金三角経済特区ラオス ボケオ県にある場所で、中国投資家がラオス政府から租借99年にて作った特区である。事業中心としてはカジノで、遠くからもKings Romans Casinoをみることができる。

  

実質、中国の植民地のような場所であり、ラオスでありながら中国語、中国元しか使えない。そして人身売買や薬物、違法動物売買(ex.象牙)などが横行している治安の悪いエリアになっている。

ラオス政府も見捨てた場所であり、パスポートを失くしたら最後、二度とでることのできない場所という噂も。

噂の真偽は分からない。中国語を学び、ここで生活する人と話すことで真実が見えてくるだろう。噂はあくまで噂でしかないのだ。

 

ボートがラオス ドンサオ島へ到着した。滞在できるのは20分ほどなので、島を降りてすぐのショッピングエリアを見て終わりだろう。

BVLGARIやVALENTINOなどハイブランドショップがあったが、どこも営業していなさそうだ。店内には服が残っていたので、不気味であった。

大阪万博の跡地もだが、かつて人が多く集まっていた場所に静けさが宿ると不気味さが生まれる。ゴーストタウンも同様だ。

ショッピングエリアではサソリ酒や蛇酒、周辺国の通貨、宝石やTシャツが売られていた。接客は少々強めで、しつこい。

しつこさに負け、Beer LaoのTシャツを購入し、船へ戻った。

 

仮にこのまま船に戻らず観光を続けたらどうなっていたのだろうか。船は定期的に来ているのでタイに戻ることはできそうだが、どのラインから不法滞在になるのだろうか。兎に角、ヒト気がなく、気持ち悪さの残る場所であった。

タイへと戻り、次に向かったのはアヘン博物館である。こちらもずっと行きたかった場所である。「アヘン王国潜入紀」を読んで思い浮かべていた光景を実際の光景と擦り合わせたかったのだ。

館内は撮影自由であり、入館料は50Bと安い。

アヘンゲシの成長過程から、アヘンの素の採取方法、アヘン吸引器、アヘン取引に使用する天秤と錘。ゴールデントライアングル最盛期のケシ畑を再現した場所・・・etc

知識とリンクした博物館は初めてだ。どの展示をみても面白い。

ポッ・ペンして、乾燥した液をガッ・ペンする。その時はグア・ペンを使用するのだ。

 

ここに来ることになったのは高野さんの1冊の本がきっかけである。本を読まなければ来ることはなかっただろう。本との出会いは人との出会い同様に大事なものであり、人生に影響を与えてくれる。本を読み続けることは、当然そのうような機会に触れ続けることになるのでこの先の人生も本を読み続けたいと思う。

 

そしていよいよタイ最北端の街、メーサイへと向かう。

ゴールデントライアングルからは単調な道なので、道に迷うことはないだろう。1時間ほど走ると到着した。

メーサイ想像以上に発展した街であり、R1を挟んで両脇に店が並んでいる。そのため、反対のお店に行くにはUターンするしかなく、渋滞が発生していた。車間はギリギリで、少しでも隙間ができると原付が通り過ぎていく。

当初はレンタカーでこの地を訪れる予定だったが、この光景をみると運転する自信がない。車で来なくてよかったと安堵した。

まずは本日の宿「Bua patumma Resort」へ荷預けに。部屋を案内してもらったが、原始的な佇まいだ。部屋は個室だが、高床式で蚊帳がついている。内鍵しかないのでセキュリティもガバガバ。予約時の宿写真とはえらい違いだ。

中心街から2kmほど離れた路地裏にあるので野犬も心配だ。一応周辺を走ってみたが、野犬はいなかったので一安心。

 

その後はバイクを走らせ、メーサイ市場へ行った。珍しいものこそなかったが、基本的な日用雑貨から食品まで幅広く売られており、物には不自由しない品揃えだった。

ただ、この辺りは栗の屋台が多くみられ、熱した石と栗が入った鍋を頻繁にかき混ぜている姿をよく見かけた。

 

そしてミャンマーとタイとを繋ぐメーサイ国境検問所の目の前に来た。ここを通ればミャンマーのタチレクという街に行くことができる。

国境前は車のナンバープレートもミャンマーの黒、タイの黄色、タクシーの赤と混在している。物価の安いミャンマーへタイから爆買いしに行くようだ。二ヶ国が混在するこの光景は目に焼き付けておきたい。

 

その後はタイ最北端の碑を見に行った。日本最北端、台湾最北端、そして今回はタイである。ある種の収集癖とも言える。私からすると七大大陸最高峰を登りたい人間も同様であり、リスクの程度が違うだけだと思っている。

 

最北端の碑を越えると、ミャンマーとタイを繋ぐ橋がみえてくる。ラーク川を越えればミャンマーに簡単に入国することができる。日本のような島国でこのような光景をみることはないので新鮮だ。ミャンマー側には侵入者を防ぐために拳銃を構えた軍の警備がいるようだが、見つけることができなかった。

 

バイクを適当な場所に停め、買い食いしながらメーサイの街を歩いてみた。

ソーセージが美味しそうだったので購入してみた。ソーセージは2種類あり、サイウアとサイクローンイサーンである。

 

サイウアは豚挽肉と香草、スパイスが混ぜ合わされたタイ北部のソーセージであり、レッドカレーソーセージとも呼ばれている。ピリッとするが、一緒に渡されるキャベツと一緒に食べれば辛さや油っぽさが緩和されるので美味である。

一方で、サイクロークイサーンは豚挽肉、米、春雨、ニンニクを腸詰めした後に数日発酵させたソーセージである。肉感が少なく、もちっとした食感。米や春雨、発酵期間により味が変わるのでお店によっては、サイクロークウンセンのように細かく種類分けしているようだ。今回食べたのは豚の臭みが少しあったので、個人的にはサイウアの方が美味しいと感じた。

歩いていると竹を焼いており、気になったので食べてみた。この食べ物はカオラムと呼ばれ、高野秀行さんの「辺境メシ ヤバそうだから食べてみた」にも登場する。

竹の中にココナッツミルクともち米、砂糖を詰めて焚火で2時間ほど炙れば完成する食べ物。竹を剥がして、そこら辺に捨てても微生物が分解し、自然に還してくれるエコな食べ物と紹介されていた。

自分が買った店では4種類の味があり、店員さんにおススメを聞いてみたが「どれもアロイアロイ」と言う。何となく一番真っ黒な物を選んでみた。

竹の中にはういろうのような餅が入っていた。若干、竹の繊維が付着していたがそのまま食べてみた。餅の上方には刻まれたココナッツが入っており、キャキシャキとモチモチが混在する食感。中間部からはココナッツがなくなるが、餅が甘くて美味しい。どうやら黒色は黒砂糖により呈色していたようだ。

 

カオラムを食べていると、横をサソリのオブジェがあしらわれた下品なタクシーをみかけた。それも結構な台数通り過ぎていく。

調べてみると、Wat Phra That Doi Waoという別名サソリ寺へ向かうタクシーであった。サソリはこの辺りに住む山岳民族(アカ族)の守り神として扱われており、守り神を祀った寺院のようだ。寺院にはスカイウォークが併設されており、ミャンマーとタイの夜景が一望できる。ロマンチストでもないので、夜景はそこまで好きではないが、せっかくなので見ることにし、夜を待つことにした。それまではサムローイジョーイマーケットでミャンマーからの雑貨をみたりして過ごした。

 

日が落ちかけたところで寺院へ向かったが、階段のきついこと。何故かテンションが上がってしまい、休みなく駆け足で登って行ったが肺が限界を迎えてしまった。タイ人が大勢集まる中で「ゼエゼエ、ハァハァ」としていた。

寺院は紫を基調としており、気品は感じられなかったが、紀元前179年に建てられた歴史ある寺院のようだ。

 

でもこんな場所にも奴(糞犬)はいた。下を見ずに歩いていると踏んづけてしまいそうだった。全く困った生き物だ。

寺院山頂には屋台も多く出店しており、参拝から観光までできる。そのため、家族やカップルが大勢いた。

スカイウォーク入り口に行ってみたがチケットがなく追い返されてしまった。でもスタッフの女性が丁寧にチケット売り場まで案内してくれて無事に購入し、入ることができた。値段は50B。

 

入る前にはガラスが汚れないよう、シューズカバー装着が必須となる。チケットを買えば一緒に手渡されるので個人的に用意する必要はない。

 

国境検問所を境にタチレクとメーサイの街が一望できる。写真では分かりづらいが、タイ側の方が光が多かった。光量と発展の度合いは相関性がありそうだ。

メーサイからチェンライへと続くR1が一筋の光線となっており、美しかった。

屋台で夕飯食べ、宿へと戻ることにした。既に20:30を過ぎており、国境検問所は閉まっていた。そのせいか、昼には道にずらっと並んでいた屋台も殆ど撤収している。

食べている人が多かった屋台にてトムヤム麺を頼んでみた。トムヤムスープに春雨麺と様々な種類のモツが入っている。

 

ハーブの香りが強く、想像していたトムヤムの酸味は少なかった。唐辛子も結構な量が入っており、唇が腫れる。苦手なレバーはスープと一緒に飲み込んだ。

真っ暗な中、宿へと戻り、昼間に購入したザクロを食べようとしたが手で割ることができなかった。ビニール袋に入れてコンクリートに叩きつけてみたが、スーパーボールのように跳ね返ってくる。

そういえばここはゲストハウスだった。共同の調理場より包丁を拝借し、半割。

 

ザクロの中にはトウモロコシサイズの果肉がびっしりと中に詰まっており、これを1粒1粒取る必要があるのだ。しかも果肉1粒ずつに種が含まれている。

1個のザクロからコップ1杯が埋まるくらいの果肉を採取することができた。種を吐き出すのが面倒くさかったので一気に口に含んで、果汁だけ吸って吐き出すを繰り返した。

 

酸味はあるが、ラズベリーのような酸っぱさはない。とにかく食べづらい印象だけ残ってしまった。コンビニで売られているザクロジュースのありがたみを知ることができた。

蚊帳に入り、横になっていたら寝てしまった。起きたら深夜2:00。身体が冷えていたので上着を着て、ペラペラのせんべい布団に潜り込んだ。

3:00までボーっと天井を見上げて、目をつぶる。時折バイクの走行音と共にそこら中で野犬が吠え始める。この時間帯は奴らにとってはゴールデンタイムである。

明日はチェンライに戻る。犬やバイクが五月蠅いが、それはそれでタイらしくて趣深い。

ジューガンマイクラップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイ旅行4日目(2024/01/02)

目が覚め、1月1日に能登半島地震が発生したニュースを知る。震度7という巨大地震であり、どうやら年始から慌ただしいことになっている様子。

タイにいるせいか全く実感がわかない。過去にサイクリングや温泉宿として楽しませていただいた土地なので、早期復旧を望む。

 

昨日は4:00、5:30と夜中に目が覚めてしまい熟睡することができなかった。おそらくこれから始まるバイク旅に緊張しているのだろう。久々の感覚で、興奮状態だ。今なら闘牛の牛になれる気がする。

 

紹介してもらったB-RIDERの開店時間は8:00なので、その前に朝食をとることにした。向かったのは「Nakhon Pathom Restaurant」。おばちゃんがムンクに朝食を渡していた。

 

注文はメニュー用紙にチェックを入れて店員さんに渡すスタイルである。英語も併記されているので安心して注文することができる。

今回は赤い焼き豚を意味するカオムーデンをたのんでみた。甘辛のたれと豚肉を一緒に食べるのだ。何故か大量の葱を一緒にくれたが、どうやって食べるのだろうか。周りをみても丸かじりしている客はいないし、結局食べなかった。

 

カオムーデンの中にはムーグロープも含まれていた。昨日の夜に歯が欠けたばかりなのに懲りない男である。ただ、このお店のムーグロープは比較的柔らかかったので欠ける心配はなかった。甘くて美味しいので、辛いタイ料理ばかり食べているときに食べたくなりますね。

B-RIDERの開店時間になったので、早速入店してみた。お店の人がいなかったので、店内をフラフラしていたらグラサンをかけた兄ちゃんに声掛けされた。

 

バイクに乗るジェスチャーをして、「借りたい!」と伝えると必要書類を用意してくれた。料金は2024/1/2~1/6まで借りて1000Bなので、レンタカーと比較すると圧倒的に安い。(レンタカーは1日4000円ほど)

レンタル期間中のデポジットとして1000Bかパスポートのどちらか一方を選択できるが、無くなったときのリスクを考えて1000Bにした。

「バイクどれにする?」と聞かれたので視認性のよさそうな赤色のスクーターを選択した。車種はHonda Scoopy iである。

最後にスクーターに乗ったのは学生時代のピザ屋のバイトである。約10年前なので、全く乗り方を覚えてなかったが、グラサンニキが丁寧に教えてくれた。試走もさせてくれたりと至れり尽くせりである。

 

スクーターは走り出しこそ緊張したが、道は広く、交通量も少ないので快適だ。大通りを走るだけなら野犬も殆どいない。仮に襲いかかってきたとしても、アクセル全開で60km/hに急加速してちぎることができる。さらば糞犬達よ!!

現地の人達は60km/h以上の速度で走っていたが、安全第一とうことで40~50km/hで巡行することにした。

スクーターに乗ることで見えない景色も見えてくる。パイナップルの露店をみつけたが、地域により出ているパイナップルが苺になったりと食べ物が変化するのも面白い。

 

昨日の夜の時点ではメーサイに向かう予定だったが、時間もあるのでゆっくり街を巡るプランに切り替え、メーサロンを目的地に変更した。

メーサロンに行く途中、Green Teaを飲みにオサレカフェ「CHOUI FONG」へ立ち寄った。CHOUI FONGとは標高約1200m地点にあるチェンライ最大の茶畑で、紅茶や烏龍茶などの茶葉を生産しており、数多くの賞を受賞されております。

 

整備された茶畑が目の前に広がる。チェンライの街中から1時間半も走れば、このような景色がみられるのだ。

タイはバイクによる排ガス、複雑に絡み合った電線、夜の街のイメージが強いかも知れないが、それ以上に自然が豊かであることを知って欲しい。

カフェに入り、Red Been Green Tea Frappeを注文した。 お洒落な場所だけあって、90Bと価格は高めである。茶畑が見えるオープンテラスへ行き、ゆっくりとした時間を過ごした。どうでもいい情報であるが、トイレも開放的だ。

 

フラッペに含まれている小豆はボトルの下に固まった状態で溜まっており、全く吸うことができなかった。ストローでも全然混ざらないので、普通のGreen Tea Frappeを勧める。

館内ではお茶の試飲もでき、お土産も買うことができる。

 

クリアウォールに入った茶葉がオサレだった。汗臭いヘルメットを被った髭面オジサンにはちょっと合わない場所である。

 

丁度いい休憩になったので、メーサロンへ向けて再出発だ。道中で気になった場所に立ち寄りながら進む。この辺りでは蜜柑栽培が盛んなようだ。

そんなこんなで気付いたらメーサロンの街へ到着していた。到着して早々に気になっていたお店「雲南麺餃館」へ訪れた。

 

調理しているおばちゃんの近くに行き、壁に貼られたメニューを指さして雲南餃子とワンタン麺を注文した。

ワンタン麺は鶏ガラスープと塩コショウで味付けされており、平麺であるので箸でつかみやすく食べやすい。ただ、味の素や胡椒が多すぎるからか塩辛い。

 

雲南餃子は山岳地帯だからか野菜が多く、浜松餃子のよう。1つ1つは小さいが、餡の密度が高いのでボリューム感がある。

 

餃子のたれはナンプラーベースで、糸切り生姜が入っている。癖が強いのかと思ったが、全く気になることはなく餃子と合うのだ。

タレは日本でも簡単に作ることができるので、是非真似したい。

メーサロンでは街の至るころで中国文化を感じることができる。これまで訪れたタイの土地とは異なる雰囲気だ。

メーサロンは且つて中国内部で国民党と共産党が争っていた際の、国民党の残党による村でここら一体で作られたお茶は台湾に出荷されている。中国には出荷しているのだろうか・・・

 

まずは荷物を預けに宿「Shin Sane Guesthouse&Bungalow」へチェックイン。一番安い宿を選んだのだが、約500Bと割高。

でも久々の個室だし、市場には徒歩1分、中心街まで徒歩3分という好立地なので宿としては最高だ。メーサロンでは最も歴史のある宿らしく、FIRST HOTEL IN MAESALONG SINCE 1970と宿の壁に書いてあった。

 

2chねらー ケンぺーくんの落書きもあった。これに関しては全く恥ずかしい限り。日本人を代表して謝りたい。

日没までは日があるのでスクーターでぷらぷらしてみた。バーンサンティキーリー校へ訪れ、サッカーゴールで懸垂をしてみた。地元の生徒から変な目でみられたが、悪いことはしていない。

 

出店には瓢箪や乾物、ドライフルーツ、お茶など中華圏の物品が並んでいた。せっかくなのでお茶を買ってみようかと思ったが、いずれも茶葉での販売だった。3袋100Bという破格の値段だ。ただ、家には急須がないので、買うのは止めた。

 

自分用のお土産としてタイ語が入ったリストバンドを購入することに。100Bくらいでふっかけられたが30Bまで抑えることができた。

後で調べたところ「タイは私の心にずっとあり」ということが書かれていた。結局旅行中はずッと装着するくらい気に入ったのだが、店員さんにはそんなの欲しいのかと笑われた。

山岳民族であるアカ族の民族衣装が販売されていた。色鮮やかで綺麗だ。

ちょうど学校の帰宅時間になったのか、スクーターに乗った小さな子を大勢見かけるようになった。タイでは日本の自転車感覚でスクーターに乗るようだ。

乗ることは文化や生活スタイルが違うので否定はしないが、ノーヘルはいただけない。当たり前のように50km/hは出すので、事故った時のリスクを考えると装着して欲しい。

 

メーサロンの0kmモニュメントの前で撮影。スクーターの相棒感が出てきた。ガソリンがある限り、どこまででも走っていけそうだ。

メーサロンの街を見て歩く。小さな遊園地もある。おそらくこの周辺にいる子供の遊び場だろう。

以前ベトナムのフエを訪れたとき、同様の遊園地があったので興味本位で乗ってみたが、異常な速度で動いた思い出がある。この遊園地も同じタイプに違いない。

まさかタイ北部の山岳地帯でスパイダーマンをみることになるとは。

 

朝ではないが、メーサロン朝市へと行ってみた。

流石に営業していないお店ばかりだったが、トゥアナオをみつけ衝動買いした。乾燥円盤タイプ、唐辛子入りの乾燥円盤タイプ、乾燥円盤をクロック品で潰したもの、ブロックタイプの計4種類を購入した。

日本に帰ったら横山先生や高野さんの書籍を読み返しながら調理して食べたいと思う。

 

日が落ち始めてきたからか、セブンイレブン前にメーサロン到着時には見かけなかった揚げ物屋が出店していた。食べたいものを選ぶと、その場で揚げてくれる注文システムだ。カニカマ、色違いのソーセージ2本、豆腐を選んだ。甘ダレに漬けてもらい、20B支払った

 

カニカマは1本1本身が裂けておらず、カニカマを見立てた細長い蒲鉾だった。食べれないことはないけど微妙な味。

次に食べたソーセージも同様にソーセージの見た目をした蒲鉾だった。ピンク色と茶色を食べたが、どちらもソーセージではなく蒲鉾。腸詰めソーセージを想像していたので見事に裏切られた。

 

最期に食べた豆腐も蒲鉾感はあったが、ほんのりと豆腐の味がして食べた中では一番美味しかった。甘ダレはほんのりと柑橘系の味がして、酸味がある。おそらくマナオが入っているのかな。

ただ、夕飯がこれだけでは流石に物足りない。

北タイ名物ナムニョオが食べれる「ガイムンナムニョオ」へ行ってみたが、残念ながら閉店していた。他にどこかないか探してみたが、20:00を過ぎると殆どのお店が営業終了であった。ケーキ屋は営業していた。

仕方なくセブンイレブンに行ったが、地元の人もよく利用するからか余りものばかりだ。悩んだ末、パッシーユーとLEOを購入し、宿へ戻った。

セブンのパッシーユーは本当に美味しい。酢で味変し、キンキンに冷えたLEOで胃へ流し込んだ。

 

酔いも回ってきたので、バルコニーで黄昏る。

チェンマイバンコクと違って、メーサイの夜は静かである。心が落ち着く良い場所で、下手なリゾート地よりもいい。(そもそもリゾート地に行かない・・・)

日本からのアクセス性は良くないが、タイに来たときは是非足を運んで欲しいと思う。

 

今日も刺激が多く、長い1日であった。温かいシャワーを浴びて床に就くとしよう。

ジューガンマイクラップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイ旅行3日目(2024/01/01)

Nama hostelは清潔でよいホステルだったが、年越しというタイミングだったからか上階の足音や外の花火、夜中まで部屋で音楽を聴いている人がいて熟睡はできなかった。

宿には日本でいる神棚(祠?)が置かれており、タイにいることを実感できる。

 

8:25に宿を出発し、まずは朝ご飯を食べることにした。

早朝で涼しいが、東南アジア特有の乾いたコンクリートの香りがする。決して良い香りとは言えないのだが、どことなく落ち着くのだ。小さな寺院もみかけ、自分のテンションが徐々に上がっているのを感じる。

ゴミ収集車が走っており、物凄い勢いでゴミ袋を回収していた。ここは日本の仕組みと変わらない。

  

ターペー門を目指して歩いていたが、どうやら道を間違えてしまったようだ。偶然野営のトレーニング施設を見かけたので、ついでにやってみることに。既にトレーニングを開始している人がいたので、軽く会釈してマシーンを使ってみた。

 

触ってすぐに分かった、設備のクオリティ低すぎることに。何故か負荷を変えることができないのだ。トレーニングマシーンの形をしたオブジェとも言える。

先行してトレーニングしていた人に「土嚢を置くとよい」と言われ、置いてみたのだが、せいぜい5kg増である。マシーンなのにフリーウエイトであり、そのフリーとは”何もない”を意味していたのだ。

先行者は楽しそうにトレーニングしていたが(意味はなさそう)、自分はディップスだけしてその場を去ることにした。

 

ターペー門は新年ムード全開であった。カウントダウンライブもやっていたみたいで、参加できなかったことが悔やまれる。

 

ターペー門はその歴史だけでなく、一斉に飛び立つ鳩をバックに写真撮影できるインスタ映えスポットとしても有名なのだが、人工的に作られた”映え”である。

現実は以下である。

①タイ人のおじさんorおばさんが餌を撒いて鳩を集める。

②ペットボトルを先端に括り付けた棒や空の灯油缶を使用したり、奇声を発することで大きな音を出すことで鳩を驚かせ、無理矢理飛び立たせる。

 

Instagramは基本的には投稿者の自己承認欲で溢れた投稿ばかりなのだが、このような現実や自然体を映した投稿の方が個人的には好きである。

 

ターペー門を東方面に少し歩くと、GWに宿泊した「Amora Tapae Hotel 」に辿り着いた。GWには無かった新年の装飾がされており時期の変化を感じた。

早朝になると窓に鳩が飛んできて五月蝿いことが欠点だが、チェンマイ市内の眺めもよく、ホスピタリティや立地も素晴らしく、改めて良い宿だったと思った。

 

しかしチェンマイも都会である。店の移り変わりは激しいようで、Amora Tapae Hotelの近くにあるセクシーなお姉さんが並ぶ「Snow White」というお店が閉店していた。今回は1人ということもあり、羽根を伸ばそうかと思っていたのに残念だ。

 

セブンイレブンで朝食としてデニッシュ生地のホットサンドを買ってみた。

チーズが甘くてグラタンサンドようで本当に美味しい。無限に食べられるのではと錯覚するくらいである。価格は35B。

腹ごなしも済んだのでGrabを利用し、チェンマイバスターミナル3へ向かった。

今回はTaxiではなく、Bikeでの移動を試みた。Taxiが120Bであるのに対し、Taxiは50Bと半額以下である。エミタさんと2人であれば、Taxiでもよいが、安い方がいいし、何よりも東南アジアを体感したかったのだ。

過去に2ケツしたのはカンボジアへ行ったときが最後なので久々で緊張したが、10分強で到着することができた。車の間をぬって走るので、車よりも到着時間は早い。

 

以下が乗るときの注意点だろう。

①最初のシッティングポジションは重要。動き始めるとチンポジのように気楽に直せない。

②再発進やカーブでは体が前後左右に振られるので、手でシートフレームを掴んでおくとよい。

③風圧や振動でポケットの鍵やスマホ、カバンの荷物が落ちる可能性があるので乗る前に落下リスクが無いか確認しておく。

 

長距離乗るにはつらいし、運転手によってはノーヘルで後部座席に座ることになるので安全をみるならTaxiの方が良いと思う。

でも運転をしなくても、東南アジアの交通事情を運転者視点で見ることができるので1つのアトラクションとして楽しむのもよいと私は思う。

 

バスターミナルではチェンライ行のバスチケットを買うことになる。チェンライに行くにはGreen Busと呼ばれるバスに乗るのだが、昨日は早く寝たい気持ちの方が強く、予約をしていなかったので乗れるか不安であった。

窓口へと足を運び、今から一番早い便に乗りたいと言ったところ「Today!?」と驚かれてしまった。Green BusにはVIP、X、AのClassがあるが、自分はエアコン完備と車内トイレがあれば十分なのでX classを選択した。Aはトイレ無し、扇風機なので近距離でないとちょっとツラそうだ。

出発まで10分ほど時間があったので、売店でストロベリー味の水を購入した。

バス料金には水代も含まれているので、水分を買う必要はないが、チェンライまでの工程は4時間あるのでタイの暑さを考えると買っておいた方がベターだろう。

 

21番ターミナルに停車しているバスに乗り込む。車内は満席で、隣の席は50代くらいの小柄なおばちゃんだった。

 

グリーンバスという名前だが、車内は青色であるところがよい。

バスに乗ること75分。休憩場所であるメーカチャーンバスターミナルに到着した。

 

ここでは10分の休憩を取ることができる。運転手の人が売店で買った肉饅を美味しそうに食べる姿をみて、自分も買ってみることに。

甘いものを食べたい口になっていたので、Black Bean (20B)を選択。

日本で食べる中華饅とは違い、オープンタイプであった。生地はモフモフしていて柔らかく、少し荒くすり潰された黒豆がよく合う。人工的な甘さではなく、優しい味で絶品だ。日光の下、クーラーで冷え切った身体を温め、バスへ戻った。

 

糖分を取ったからか睡魔に襲われ、気付いたらチェンライバスターミナルに到着していた。時刻は13:35であった。

チェンライは静かな街で、トゥクトゥクのオジサンによる客引きも無かった。駅前には大量のスクーターが停車されていたが、出すのに一苦労しそうだ。

 

ちょうどお昼時だったので、カオソーイの人気店「ラーン・ポージャイ・カオソーイガイ」に向かった。

 

店名にもなっているカオソーイ ガイを注文。漬物、ムラサキオニオン、マナオがトッピングとして付いてきた。

 

スープはあっさりしているが味は少し辛い。漬物はそこまで辛くはない。ベースを辛くして、漬物やマナオで酸味を持たせながら食べる店のようだ。チキンは細かく1口サイズになっているので食べやすい。チキンレッグがないとカオソーイと認めない人にはNGの店だろう。日本人でも食べやすく、是非リピートしたいお店である。

 

ご飯を食べ終わったが、ナイトマーケットに行くにも時間が中途半端だ。とりあえず宿にチェックインだけすることにした。

本日の宿は「BED(Bed eat drink) Friends hostel」というところだ。ドミトリーや共用エリアも綺麗で、スタッフの方も愛想よく丁寧。すでに当たりオーラが溢れ出ている。

荷物だけ置き、バスターミナルに戻った。

 

戻ったのには理由がある。チェンライの観光名所「ワット・ロンクン」、通称ホワイトテンプルに行くためだ。チェンライバスターミナルには様々なバスが停車しているが、バスの前にどこへ行くのか、何時に出発するのか表示されているので分かりやすい。

運転手の人がいたので、乗ってていいか確認したところ、オッケーという反応だったので乗り込んだ。

現在時刻は14:50であり、チェンライ行の帰りの最終便が16:20に乗れるか不安だが、ソンテウでも拾って帰れば問題ないだろう。

バス内はグリーンバス同様に青色で統一されていた。チェンライにはワット・ロンスアテンことブルーテンプルもあるので紛らわしい。白色で統一すればいいのにと思う。

エアコンはなく、出発時間になると途端に込み始めるし、チェンライバスターミナル以外からの乗客者もいるので、座りたい人は10分前から乗ったほうがよい。

バス代は信号待ちのときに集金係のおばちゃんに渡せばよい。

15:00に出発し、走ること20分でワット・ロンクンが見えてきた。

集金係のおばちゃんがワット・ロンクンを指さし、「ここで降りな」と言ってくれた。

勝手に乗り込んだバスの終点はワット・ロンクンと思っていたが、どうやらもっと先にあるようだ。危うく知らない土地にポツンと一人取り残されるとこだった。

 

ワット・ロンクンは仏陀の清浄さを表す白を基調としており、天国をイメージした本堂と地獄を彷彿させるデザインがされた現代的な寺院である。創設者が元画家であるチャルーンチャイ・コーシピパットということもあり、歴史的造物というよりもアート作品のようである。入場料100Bを支払い、中へ入ってみる。見ているだけで十分楽しめる。

 

ドラゴンや髑髏、仮面など中学生が好きそうなデザイン・・・

 

ネットやYoutubeではあまり取り上げられていないが、寺院内には岩削って作った作品もあり、穴場スポットともいえる。ここは愛知県蒲郡市にある竹島ファンタジー館の劣化版といった感じだった。追加で50B発生するが損した気分にはならない。

 

思いの外見どころが多かったので、チェンライに帰る終バスを逃してしまった。

ネットにあるソンテウ乗り場に行ってみたが、一向に来ない。しかもワット・ロンクンの周りにも全然いないではないか。Grabでピックアップを試みたが、全然捕まえることができない。正直焦り始めた。

ただ焦っても仕方ないので、「Khru Sichan Coffee」でストロベリー&ココナッツスムージーを飲むことにした。ココナッツがあることで苺味が薄まってしまったので、苺だけでもよかったかな。

 

一息つけたのでソンテウ探しを再開した。けれど30分探しても見つからない。諦めて近くにいるタイ人に相談しようと思ったとき、台湾人の学生と思われる集団がソンテウのおじさんと価格交渉しているではないか。

話が付いたタイミングで私も乗せてくれよお(懇願)と伝えたところ、50Bで乗ることができた。Grabだと160Bだったので安く済んでよかった。

ソンテウから望む道路が綺麗だ。

 

宿へと戻り、日が完全に落ちるまでダラダラと過ごした。

日が落ちるまで待ったのはナイトバザールに行きたかったからだ。チェンライのナイトバザールはバンコクチェンマイと比べると大人し目で、接客も全くしてこない。

ただ、商品を見ているのをずっと見てくる。逆に気まずい。

 

ナイトマーケットでよく見る、ご飯を食べながらライブ音楽を聴けるエリアに来た。屋台が並んでおり、ここで食べようかと思ったが屋台街は味は微妙なことが多いので周辺にある人気店に行くことにした。

途中で有名な時計塔をみつけた。札幌の時計台に通ずるものがある。

「チャルーンチャイ」という店が地元の人が多く、繁盛してそうだったので入ってみた。机に案内されたが、メニュー表はなく、店員さんも来ないのでどうしたらいいか分からない迷える子羊状態になってしまった。

別の席にあったメニュー表を取り、注文しようとしたが、全てタイ語で何が書いてあるか分からない。Google Lensで調べても、単語が並ぶだけでどんな料理か想像できない。

 

最終的にはGoogleの口コミ画像をみて、美味しそうな3種を注文してみた。しかし店員さんがやたら米を進めてくる。米の注文はデフォルト仕様なのか?そんなにお勧めするならとライス(小)も注文した。

まずは豚の唐揚げ(ムークローブ)が出てきた。スイートチリとナムプリック、シーユーダムがソースとして付いてきた。ナムプリックが一番マッチしていた。ビールがあると最高だったな。でもカリカリに揚げられすぎていて固い。

 

その後は茄子と唐辛子の炒め物(パットマクワ)。ハーブの香りが強く、唐辛子がピリピリと舌を刺激する。観光客用に唐辛子を遠慮してはいなないので、唐辛子は避けながら食べた。タイらしい濃い味付けで、米が食べたくなる。まさか店員さんはこれを見越していたのか!?

そして鶏挽肉とニンニクのナンプラー炒め。口に入れるとまずは香ばしさがきて、次に塩気、最後にニンニクパンチがやってくる。これは完全に酒のつまみになる味だ。

 

美味しく料理を食べていた時、「ガリッ」という異音がした。何か変なものでも入っていたのかな?と思い口から出してみると見覚えのある白い塊が。

そう、歯である。慌てて舌で歯を舐めてみたら、一部無くなっているではないか。下の第1大臼歯が欠けてしまったのだ。

早いところ詰め物をして欲しいが、ここはタイ。簡単には治せそうにないし、保険も効かないので日本に帰るまでどうすることもできない。幸いなことに水がしみたり、痛むことはないのが救いだ。

自分の身体の一部を失うのは寂しいもので、少し気分が下がってしまった。それもこれも固すぎるムークローブのせいだ。

 

チェンライは野犬が全然いないので、夜道を歩くことができる。宿に戻る途中でセブンイレブンジャックフルーツとバイタミルクのタイティー味を購入して戻った。

油断していたらコンビニの入り口で糞犬が爆睡している。蹴っ飛ばして追っ払いたいが、きっと返り討ちにあうので止めた。

共同キッチンでジャックフルーツを食べていると日本人のおじさんに話しかけられた。

どうやら大阪生まれ、三重県育ちでタイに40回以上来ているそうだ。もう仕事は引退されており、1~2ケ月単位でタイをはじめ様々な国を訪れているとのこと。

年越しはタイ人の彼女とプーチーファーで初日の出をみて、チェンライ泊など自由気ままな人生を送られていた。タイ人の彼女とは学生時代に休学して、アメリカに1年間留学していたこともあり、日常会話は英語でしている。この後はチェンライ空港までレンタカーで彼女を送迎した後、パヤオ~プレーを経て、夜行バスでバンコクに戻ると言っていた。タイ慣れしており、かなりアクティブだ。

私もタイ人の彼女を作るためにも英語を学ばなければならない。エミタさん?誰だったかしら・・・

レンタカーを借りようか悩んでいると相談したところ、B-RIDERというお店でレンタルバイクを借りるといいと勧めてもらった。日本の普通車免許だけだと、無免許になるが、レンタルするときに確認もされずに乗れてしまうらしい。ただ、事故ったりしたときは自己責任だとういう。タイは中学生くらいの子がスクーターに4人乗りしたりしている光景が当たり前なので不思議ではないか。

このとき私は鳥肌が立っていた。公共交通機関による制限から解放され、行動範囲やスケジュールの幅が一気に広がった。そして天敵である野犬から逃げる足も手に入る。

このおじさんとの出会いは本当によかった。他にもチェンライで行われているビエンナーレの存在やお勧めの飲食店など色々と情報交換することができた。

些細な出会いが自分のやれることを広げてくれる。こういうことがあるので、ゲストハウスが好きなのだ。

もう少し話していたかったが、夜遅いこともあり、おじさんは部屋へと戻っていった。

キッチンに残った私はジャックフルーツを食べながら、明日からの行動について考えていた。

ジャックフルーツの食感は固く、パイナップルとリンゴの中間のような味であった。喉がむずむずするので、食べすぎには注意が必要かな。

 

バイタミルクを飲み、レンタバイクを借りることにした。人生を楽しむのだ。

 

ジューガンマイクラップ

 

 

 

タイ旅行2日目(2023/12/31)

7:45起床。ドミトリーのクーラーが効きすぎていて夜中に何度か目が覚めてしまった。よく見るとクーラーの温度設定が22℃になっていた。

ドミトリーでは欧米人と一緒になることが多いのだが、彼らの体感温度はどうなっているのだろうか。どんなに暑い場所であっても羽織物が1つは必要だと思う。

 

そしてラインの通知が1件。エミタさんのお婆さんが今朝お亡くなりになった。

ある程度の覚悟はしていたが、まさか年末年始というこのタイミングとは。年末年始は基本的には葬儀屋は休みであるし、帰国すべきかどうか。思考が逡巡する。

状況的にはまだ慌ただしいだろうし、冷静になって判断しようと思う。ということでエミタさんが事前に調べてくれていた「秦小姐豆漿店」に行ってみた。

宿からは歩いて25分ほどの距離だが、散歩にはちょうど良い。シマウマのお尻がデザインされた信号機や路地など街並みを見て歩いた。

 

ちなみに豆漿(トウチアン)とは中国圏にて飲まれている豆乳を指しており、コンビニをはじめ至る所で入手することができる。甘い豆漿は"甜"が付くので間違えないように。塩味を加えた豆漿に、油条(タイでいうパートンコー)などを入れて食べるのが王道の様だ。

GWにチェンマイでパートンコーを食べたときは胡椒やナンプラーを付けて食べたが、本来は豆乳や粥に浸して食べるものだと、面白いことに別の国で知ることになるとは・・・

 

お店は朝から大盛況であった。注文したいが、方法が良く分からなかったので取り敢えず並んでみた。レジにてスマホを見せながら説明したら日本人向けのメニュー表を渡してくれた。

 

無難に豆漿を注文しようと思ったが、新商品という南瓜豆漿にしてみた。これだけでは足りないので起司蛋餅(チーズダンピン)。起司と書いて、チーズらしい。

蛋餅は朝ご飯だけでなく、お菓子としても中華圏の日常生活へ溶け込んでいる食べ物である。"蛋"という漢字をみると”蚕"を想像してしまうが、全く関係ない。中国圏での卵という漢字である。

 

早速食べてみた。

蛋餅はモチモチした記事の中に卵が入っており、それをクルミ味噌をつけて食べる。美味しすぎてお替りしたかった。

 

南瓜豆漿の南瓜は細かくミキサーされていた。南味に下品さは無く、南瓜の持つ甘さが豆乳と合わり、舌に合い優しい味だ。

 

台湾料理は本当にハズレがない。どの店で何を食べても基本美味しいので、観光ではなくグルメメインで遊びに来ても楽しめる国だと思う。最高の朝ご飯を終え、行きとは違う経路で宿に戻った。

 

歩いているときに檳榔のお店を見かけたが、残念ながら営業はしていなかった。

2023年現在の檳榔事情はどうなのだろうか。台湾の田舎の方へ行くとセクシーな格好をしたお姉さんが店前に立っていた。好奇心に駆られて食べた(噛んだ)ときは酩酊感を得られなかったが、再トライしてみたさはある。

「コロナ禍や電子タバコの普及といった世の遷移と共に嗜好は変わってきているし、台北市のような大都会ではやっていけないのかもしれない。」と考えていたら地面に赤い唾を吐いたような痕跡を見つけて、なぜかホッとした。どんなものであれ、無くなるのは寂しいのだ。

冷静にはなったので、今回の旅行の進退を決める。

親への相談(過去の経験など)、自分の想いなどを踏まえ、葬儀に参加すべきかを判断した。仏教における葬儀の宗教的な位置付けは寡黙にして知らないため、私の中での葬儀とは死を悲しむのではなく、これまでお世話になった方への感謝や思い出を振り返る場という認識でいる。

1日目の記事でも触れたが、今回の様な長期連休を取れる機会が次にいつ来るか分からない不透明さ、今後の人生を色付ける活動になること、過去ではなく未来へ向かうベクトルであることより旅行を続行する判断をした。ただ、エミタさんが悲しんでいるときに傍にいてあげれないことのみが気がかりである。

「身内の不幸の最中に何をしている。」というお咎め、関係性の悪化は覚悟している。それでも自分の納得できる選択を取りたいのだ。

そしてエミタさんへ葬儀と通夜には参加せず、旅行を続行する旨を連絡した。

 

どんな返信がくるか正直不安であった。毎週のようにお婆さんのお見舞いに行っている姿を見ていたからだ。そして受信通知が届く。

 

「了解。旅行中に暗い思いをさせてごめんね。美味しいもの食べてきてね。」という内容だ。(転記ではなく、ポイントのみ記載)

 

受け取った返信をみて安心した。そして心の中の靄が取れた。

ただ、続行したことで事故に遭ったら元も子もなくなるので、安全第一で楽しんで行こうと思う。

 

宿をチェックアウトして、エレベータに乗ろうとしたときに髭の生えた陽気なカナダ人に話しかけられた。

突然だったのでテンパってしまい、「どこ行くの?」を「どこから来たの?」と勘違いしてしまい、「日本」と答えてしまった。その為、その後に続く「どこから来たの?」にも「日本」と回答し苦笑いされていた。意味不明すぎる会話だ。

海外に出掛けると毎度このような状況となり、その度に英語で会話出来たらなと痛感する。でも行動できてないということは、あまり響いてないのだろう。今回は重い腰を上げ、行動に移してみようと思う。

2024年の目標として1つ、英会話力の向上を設定することにした。人生の軸にしている「自分の行動範囲を広げる」とも相性が良く、可能性を広げてくれる。年齢を重ねるにつれ覚えは悪くなってきているが、地道に継続はしていこうと思う。

帰国翌日からこの記事を書いている現在まで、帰りの通勤電車でNHKのラジオ英会話を続けれている。効果があるのか分からないが、もう暫くは続けてみる。

カナディアンと「Have a nice day」と別れを告げた。Bon Joviが脳内に流れ始め、時間が加速していく。

 

地下鉄を乗り継ぎ、雙連駅で降りた。目的地は台北の問屋街である迪化街(ディーホアジェ)である。というのもエミタさんから漁師網バッグを買ってきて欲しいというリクエストがあったからだ。おそらく自分だけでは選択肢に上がらない場所である。

道中に台湾カステラで有名な「現烤蛋糕」というお店があるのだが、残念ながら休業日であった。

迪化街はかつては稲を天日干しするための広い空き地だったことから、大稻埕(ダーダオチェン)と呼ばれている。淡水港が開港してからは乾物や漢方が集まり、交易の中心街になった。

そのような歴史的背景もあり、漢方や乾物で溢れかえっており、特有の香りが道路全体に漂っていた。歴史を感じる建造物が立ち並んでおり、歩いているだけで楽しかった。

 

歩きながら漁師網を探していると、3店舗「高建」「大華行」「林豊益商行」にて発見することができた。

 

1号、2号・・・とサイズの違いと取手のデザインで価格が決まるようである。よく見るとほつれている品もあったので、購入時は細かく確認した方がよい。

 

最終的には品揃えのよかった「高建」にて1号2つ、2号1つ購入。後は無事に日本に帰って届けるだけである。価格は65NT$と75NT$であった。

 

歩き疲れたので「豆花荘」という店で休憩することにした。名前の通り、トウファ専門店である。豆花とは豆乳に硫酸カルシウムを加えたもので、台湾ではスイーツとして人気で、至る所でみかける。

 

今回、紅豆豆花を注文した。愛知県民は定期的に小豆を摂取しないと落ち着かずに発狂してしまうのだ。

注文して1分も経たないうちに料理はでてきた。豆花にかき氷、シロップ、小豆がトッピングされたシンプルなものである。

甘さは控えめだけど、小豆が甘さをカバーしてくれる。ドーナッツ類と比べてヘルシーだし、女性に人気なのも分かる。あと、トレーニー。

 

火照った身体に丁度よい冷たさであり、冬に食べるには寒いと思うが、ホットにも対応しているので環境や体調に合わせて食べるのがよいと思う。

朝食で食べた豆漿もだが、台湾の食文化には豆腐が欠かせないと感じた。日本も台湾同様に豆腐料理は多いが、メジャーなスイーツにはなっていない。この違いは何だろうか。食文化の分岐が気になるところだ。

 

これはスイーツであり、昼ご飯が食べたくなったので魯肉飯の人気店「金峰魯肉飯」を訪れた。しかし店前に集まる人の多さに断念。落ち着いて食べれないし、注文も通るか分からない。それにしても人がゴミのようだ。

南門市場を見学して、飲食店の多そうな西門駅へ向かうこととした。ここにある金峰魯肉飯の分店を狙ったのだ。

しかしながら、「西門金峰魯肉飯」もえげつない混みようだ。店内に入ってみたが無視されるし、こちらも断念した。せめて注文方法くらい中国語を覚えていくべきだったと思った。

 

西門は愛知でいう栄のような場所で、若者で溢れている。高級車を何台か見かけ、台北市内でも栄えている場所であることが分かる。

YouTubeの撮影っぽいことが行われていたが、撮影者側の涙ぐましい努力がみてとれた。

 

そんなことより、昼ご飯だ。

「謝謝魷魚羹」というお店が空いていたので入ってみた。

 

何故か水を求める人と思われてしまい、ボトルを1本差し出され「これか?これか?」と聞かれた。私が日本語以外に唯一使える言語、”ボディランゲージ”にて食べるふりをしたら無事に伝わり注文までたどり着くことができた。

 

注文したのは「肉圓(バーワン)」と「滷肉飯(ルーローハン)」である。

肉圓(バーワン)はジブリ映画「千と千尋の神隠し」にてお父さんが豚になる時に食べていたブヨブヨした水風船のような食べ物である。

注文の時に魯肉飯が無かったので、仕方なく滷肉飯を注文したのだが、漢字が違うだけで全く同じものであった。どうやら漢字が難しいので同じ発音をする”魯”を使用するようになったとか。

 

滷肉飯は甘く、すき焼きのたれをかけたご飯の味がした。溶き卵をかければ最高なのだろうが、より一層すき焼きご飯に近づくことだろう。八角が使用されていないことが原因だろう。台湾感を味わいたかっただけに、ちょっと残念。

でもそこを補ってくれたのが、肉圓(バーワン)である。

茹でた肉圓を鍋から出して、はさみで切り、謎の液体をかけてくれた。アニメで見たブヨブヨ生地に包まれている。

かつて食べたことのない味なため、表現しづらい。とにかく八角が強く、微妙に甘いので癖が強い味だ。しいて言うならば、心太にかける黒蜜のような味。

現地の方向けの料理だと思うが、是非食べて欲しい。私とは舌が合わなかったので、次回は遠慮しておく。

 

口直しに、別のお店に行ってみた。

「三代滷肉飯」というお店で、西門駅周辺の店舗と異なり、空いている。

注文して直ぐにご飯にありつくことができた。こちらの滷肉飯は鰹節が大量に入っており、食べやすい。八角は少々入っていたのかな。

タイのカオマンガイのように、お店により滷肉飯の味も大きく異なる。台湾で種々様々な料理を堪能するのもよいが、滷肉飯に特化するのも1つの楽しみ方のように思った。

 

フライト時間も迫ってきたので台北駅へと戻ることにした。

とはいっても時間に余裕はあるため、台北駅周辺を探索することに。歩いていると煙が立ち込める屋台街へと紛れ込んだ。

昨日今日と街中でみた屋台とは雰囲気が異なっており、ヒジャーブを被った人が多くいる。メニュー表は中国語ではなく、英語表記。そして赤白で構成される国旗が掲げられていた。そう、ここはインドネシア街であったのだ。

日本では中華街やフィリピン街をみることはあるが、インドネシア街は初めてだ。

前述の煙はサテを焼いているときのもので、英語表記はナシゴレンやナシアヤムと書かれていた。ちなみに台北駅を東に進んだ緑枠辺りにある。

その後は登山用品店に冷やかしに行った。今の自分が欲しいのはギアではなくフィジカルと時間なのだ。

台北駅に戻り、「金三峡牛角」にて牛の角を模したメロンパンを食べたりして過ごした。パンはぱさぱさしており、そこまで美味しくはなかった。

 

気が付くと駅の柱に座り込んで、30分ほど寝ていた。環境が変わり、知らぬ間に疲れていたのだろう。

 

16:05 桃園空港を目指して台北駅を出発した。行きとは違い、椅子に座ることもできた。肘掛けにUSB TypeA端子があるのも嬉しいですね。

気分良くスマホを弄っていたら悪い知らせが・・・

どうやら搭乗予定のAir Asia便が遅延するようだ。22:50にチェンマイへ到着する予定が23:55になった。まさに年を越す直前である。私のコムローイを見上げながら優雅に新年を迎える計画が崩壊してしまったのだ血涙

 

大富豪でもなく、どこにでもいるサラリーマンなので別便を取ることもできず、早々に諦めることにした。宿のチェックイン期限が0:00なので、遅れることだけ伝えた。

 

1時間もしない内に第1ターミナルへ到着した。夕飯を食べにフードコートへ行ってみたが、どうも食指が動かない。

セブンイレブンタロイモ牛乳と麻辣肉饅、おでんを食べることにした。

おでんの出汁は滷味(ルーウェイ)という醤油ベースの薬膳スープで、八角やシナモンが効いている。日本の昆布だしとはだいぶ味が異なっている。海外でおでんが食べれるのは珍しい。

 

具材ははんぺんが多く、牛スジや糸コンとは日本ならではっぽい。でもおでんは日本の味の方が好きだな。おでんを食べるとホッとするが、ルーウェイではそれは起こらなかった。

 

麻辣肉饅はしびれるような辛さがあり美味しかった。中国圏だからか中華まん類は安いのでおやつの代わりにもよい。

 

搭乗手続きの列は人で溢れていた。タロイモ牛乳は捨てられる前に一気に飲み干したがタロイモの細かな粒子が喉に引っ掛かり、むずがゆくなる。そこまで美味しくもなかったので、ハズレだった。

 

搭乗手続きを終え、搭乗ゲートB1Rへと向かう。やはりLCCだとゲートまでの道が長いこと。水を補充し、お店を見たりして出発時間まで時間を潰した。

最近は何事もスマホありきになっているので、待合室には充電設備が充実していた。欲を言えば各席に充電口があると助かるのだが、欲張りすぎですね。

搭乗ゲートの前で待つが、20:15になっても一向にChiang Maiの文字が出てこない。不安になるが、場所は間違っていなさそうなので大丈夫だろう。

そんな時、館内放送にてChiang Mai行の便が20:30発になると案内があった。出発がさらに遅れたようで、これで私のChiang Maiでの年越しプランは完全崩壊し、コムローイは無くたった。

これも旅の醍醐味であろう。まだタイでは14日間過ごせるし、焦らずにいよう。

結局搭乗ゲートが開いたのは21:15であり、当初の予定である18:30から2時間45分の遅れである。加えて、LCCだからかゲートから飛行機までは専用の車に乗って移動があった。

機内に入ると早々に寝てしまった。今日の宿で寝れるか心配だ。(まあ、宿に着くころには日付が変わっているのですが・・・)

最悪、アルコールを入れておけば寝ることはできるだろうが、明日はチェンマイからチェンライへの移動もあるので避けておきたい。

 

結局チェンマイ空港には0:45頃到着した。新年は飛行機の中で迎えたのだが、寝ていたので記憶がない。いずれにせよ私はタイ旅行はようやくスタート地点に立ったのだ。

 

空港に到着したら、まずはキャッシング。半年ぶりのチェンマイ空港であるが、懐かしさを感じる。ただ、深夜であるのでお店は殆ど閉まっていた。

 

空港TAXIを手配し、本日の宿「NaMa hostel Chiang Mai」に送ってもらった。空港TAXIは一律150Bでぼったくりもないので夜でも安心して乗ることができる。

 

宿に到着したのは1:39であった。流石にどんちゃん騒ぎの音も聞こえず、静かであった。宿に受付の人はいなかったので、連絡したら勝手に入って寝てくれということだった。レスポンスは早いし、どこかで年越しパーティでもやっているのだろう。

 

まだ建てられてから日が経っていないからか、静かで綺麗な宿である。スタッフの方の連絡のやり取りも丁寧で、良い宿そうだ。長期滞在しないことが残念なくらいだ。

 

朝から慌ただしい一日であったが、ようやく寝ることができる。今日は長い1日だった。

明日のチェンライに向けて寝るとしよう。

ジューガンマイクラップ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイ旅行1日目(2023/12/30)

7:30起床。通勤では毎日5:30に起きているのでゆっくりと寝ることができた。

そう私は社会に組み込まれ、ブツブツ文句を言いながらも勤労の義務を慎ましやかに果たしているのだ。

そんな労働も一区切りを終え、年末年始の休暇に入る。つまりは社会からの解放である。今回の休暇では台湾経由でタイに入国し、約14日間過ごす予定だ。一般企業に勤める身としては長い休暇だと思う方は多いと思うだろうが、それは特別有給という権利を行使したからだ。社会に拘束される身であるゆえに、婚姻or挙式の±3ヶ月以内という使用制限があるため、権利失効する前に慌てて使ったのだ。要は新婚旅行だ。

 

当初の予定であればエミタさんと一緒に行くはずであったが、お婆さんの体調が優れず、相手側の親の意向もありキャンセルすることとなった。エミタさんの胸中としては「行きたい」という想いが強いと感じた。出発する最後まで別便や弾丸にて台湾に行けないか考えていたからだ。一方で、命が関わっていること、これまでお世話になっていることから最期を看取りたいという考えも理解できる。

 

自分はこの先の人生の中で、14日以上を遊びに費やせる時間が確保できるか分からないし、旅行を通して得られるものは多いと考えている。

エミタさんの親の考えとしては「お婆さんも皆に見守られて息を引き取ることが幸せ」というものであるが、それはお婆さんの本意なのだろうかと思う。”こう考えていて欲しい”というバイアスが掛かっているのではないか。

「お世話になった方への感謝したい」ということは本当に分かる。ただ、仮に自分がお婆さんの立場だったとしたら、自身により周囲の方の行動を制限してしまうことを申し訳ないと思う。人の行動や可能性を制限させることはすべきではないのだ。

今回の様な場合、意見が二極化するのは明確であり、正解はないと考えている。ただ言えるのは最終的に判断するのはエミタさん自身であり、エミタさんが後悔しない選択ができればよいのである。

自分は機会損失が出ることは避けたかったので、タイへ行く選択をした。そしてこの選択に後悔はしていない。どちらが正解だったかは結果論になるし、同じ人間は2名は存在しないので証明しようもない。

色々な考えが頭の中を右往左往、行ったり来たりして今回の旅行は始まった。さて、この先どうなることやら。

 

朝食は、食パン、蜜柑、卵焼き、プロテインヨーグルトにした。暫くは現地での食事となるので毎日のルーチン食とした。暫くは運動ができなくなりそうだったので、近所の公園で懸垂をして背中に刺激を与えておいた。競馬にてお尻に鞭を打つようなものである。

名駅まではエミタさんが送ってくれることに。まさに送迎車付きのVIP待遇である。これはタイ王国による手厚い歓迎だろう。

しかし問題発生である。駐車場の目の前にレンタカー(黒のプリウス)が停車してあって車を出すことができない。ジャパンレンタカーと書かれたステッカーが車に貼られていたのでナンバーを連絡して動かしてもらうよう伝えてもらった。

少しすると借用者が登場。赤べこのように頭を垂れており、大海原のように広い器を持つ我は微笑みを返し、許した。

 

無事にセントレア行きの名鉄に乗り込むことが出来たが、やはり今回は出発直前から慌ただしいし、心が落ち着かない。スケジュールも殆ど立てられていないので不安だからだろうか・・・

 

セントレアに到着し、ターミナル1に行ってみた。ニュースでは昨年の3倍もの集客とされていたが思いの外空いていた。今回利用するTiger Airはターミナル2であるので10分ほど歩くことになる。LCC航空の宿命であり、利用する際はこの時間を考慮しておかないと空港で全力疾走する羽目になる。ちなみに私は何度か経験したことがある。

 

お昼ご飯はローソンでからあげクンRedを購入。安定の美味しさだ。

チェックインカウンターには長蛇の列ができていた。列に並んでいるときにTiger Airのお姉さんが手荷物の重さを測ってくれたが、可愛かったので鼻の下が伸びっぱなしであった。

手荷物検査と出国審査を経て出発を待つ間に水分を補給した。

今回ボトル代わりにプラティパスを導入してみたが大活躍だ。コンパクトになるし、持ってきてよかった。

3時間後には台湾に着く。2016年に自転車で一周したのが最後なので、実に7年ぶりである。空港に着くと気持ちが旅モードに切り替わり、心がはやる。

13:15に日本を出発し、16:05に台湾桃園国際空港に到着することができた。飛行機での音声案内によると外気温は20℃あるようだ。日本は一桁なので、暑い。ドン・キホーテで1000円で購入した裏起毛インナーとユニクロヒートテック股引を脱ぎたくて仕方がなかった。

入国審査を経たらMRTに乗って台北駅へと向かうが、桃園空港内が懐かしくて歩き回ってしまった。友達と自転車を組み立てた場所もあった。

 

今回の滞在日数は1日半であるので、当初はSIMカードを購入しない予定であったがスマホを手放せない現代人であるため、3日間/4Gコース(300NT$)を購入した。通信会社は中華通信というところにしてみた。早速開封して使用してみたが、特に困ることはなさそうだ。

 

MRTに乗ろうと、前回の残額である1000NT$をチャージ機に投入したところ。操作を誤ってしまったのか、全額飲まれてしまった。その瞬間私は無一文になってしまった涙

500NT$しかチャージするつもりはなかったのでやらかしてしまった。取り敢えず台北駅へと向かい、台北駅にて換金かキャッシングすることにした。

 

台北駅には1時間ほどで到着するが、席に座ることができなかったので割と苦行であった。自分は電車通勤にて毎日席に座れているが、立っていく人は修行僧にでもなりたいのだろうか。電車で100%座れるように簡易な折り畳み椅子を持ち歩く人はよい考えを持っていると思う。

 

台北駅は本当に広くて大きい。日本でいう東京駅のようなものだろうが、天井が高く圧倒される。まずはお金を手に入れる必要があるので、國奉世華銀行のATMでキャッシングすることにした。使い方は英語表記があったので、何とかなった。英語が使用できないくにだと、お金を下すだけでも苦労しそうである。

 

(参考)引き落とし方法

①クレジットカードを挿入し、カードの暗証番号を入力。

②Credit Accountを選択。

③交換したい台湾ドルと換金レートが表示される。現在はJPY1が0.207のようだ。Acceptを押すことで、お金を引き出すことができる。

チャージしたカードを改札にかざして板南線(BL)に乗り込み、宿のある忠孝復興駅まで向かう。またしても椅子に座ることができず、足が棒のようになってきた。

カードは美麗島駅にて購入したものだが、マナカやTOICAとは違いデザインが洒落ている。

 

忠孝復興駅は台北中心部にあるからか、高層ビルが多く、ハイブランドショップが立ち並んでいた。

 

宿は「Amici hotel six star hostel」というところで、雑居ビルの4Fにある。

 

日本のビジネスホテルのようなものだが、ドミトリー部屋を要しており、飲食スペースもある。

 

ただ、このクオリティで5607円である。年末年始は台北市内は宿の価格が3倍以上するのだ。2016年に台湾一周したときも、年越しは台北市内だったのだが宿探しに苦戦したのだ。自分が調べたときはこれでも台北市内の最安値であったので、年末年始に台北を訪れる方は早期予約するなりして対策が必要である。

 

チェックインを済ませたら夕飯を食べに「臨江街観光夜市(Linjiang Night Market)」へ向かった。文湖線(BR)と淡水信義線(R)と乗り継ぎ、信義安和駅を降りてすぐのところで開かれている。

 

到着して早々に臭豆腐特有の香りが漂ってきた。台湾へ来たことを実感することができ、高揚状態である。

臭豆腐

発酵食品の1つ。納豆菌と酪酸菌で発酵させた豆腐を発酵した塩汁に漬けて再発酵させ熟成したもので、揚げて食べたり、そのまま食べて酒のつまみにする。粥にちぎって入れるとコクが増して美味しい。 

参考文献:小泉武夫氏「くさいはうまい」 

 

連綿と続く屋台群を進むと「一口金酥臭豆腐」という店を見つけた。現地の方の行列もできていたので人気店っぽい。店員さんは私のことを台湾人だと思い話しかけてきたが、中国語での注文方法を知らなかったので、指を1本天に向け、「Small one、Spicy」と言い注文した。

 

店名通り、一口サイズの臭豆腐が入っている。臭みはあるが、揚げてあるとそこまで臭さを感じず、ただただ、辛い。「Spicy」と注文した人を恨む。

お腹も空いていたからか、あっという間に完食してしまった。次なるターゲットとして「一口吃煎餃」を注文してみた。値段は45NT$だが、ボリューム満点で味付けも美味しい。やはり食べ歩きこそ夜市の醍醐味である。

 

歩いているときに台湾総統選の宣伝用バッグとティッシュを貰ったが、どちらも便利なのでちょっと嬉しい。

他にも屋台は魅力的な料理が多く出ていたが、誘惑に耐え、レストランに向かうことにした。(耐えてるのか?)

 

向かった先は「藍玲四川牛肉麺」。駅から夜市に向かうときに見かけたお店である。

注文したのは当然、牛肉麺パクチーの有無を聞かれたのでOKと即答。

 

麺は縮れた平麺で、こしは強くはない。スープは醤油ベースであった。そしてゴロゴロと入った牛肉が柔らかく、ホロホロと口の中で崩れる。これが最高に美味しい。

 

店内には客が書いたと思われるコメントがあったが、一般人が書いても効果あるのだろうか・・・

心も胃袋も満たされ、宿に戻ることにした。いや、大当たりのお店だったなあ。

 

帰りにファミリーマートでBCAA入りの低脂肪プロテイン牛乳(39NT$)を購入し、寝る前に飲んだ。普通に美味しい。自転車のマークが付いており、おそらくサイクリストを狙った商品だろう。

 

今回はどんな旅行になるだろうかとドミトリーベッドにて考えていたら、眠りについていた。

 

ジューガンマイクラップ 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年の振り返り

早いもので2023年ももう年の瀬を迎えようとしている。

今年もあっという間に過ぎてしまった。先日誕生日を迎えたが、割といい年齢になっていた。(中高生の頃に思い描いていた大人の姿とはかけ離れている)

 

早く感じるのは年齢のせいか。いや、年齢というよりも社会人となり、日々の変化が少なくなっているからだ。

つまるところ新たな刺激が弱くなっていることが原因だと思う。人間という生物は「刺激」と「慣れ」を繰り返す生き物なのである。

 

話は変わるが、自分は私生活において1年の目標を立てたことがなかった。猿人が流されるままに行動し、辿り着いた島で生活した姿こそ今の私である。

目標設定しないこと=「悪」という考えはもっていないが、目標があった方が有意義な1年になるだろうとは思っていた。そして重い腰を動かし、2023年1月1日に目標を設定していた。

教科書的な考えではあるが、目標を立てるだけでは意味をなさない。設定目標に対して、どのような結果であったか振り返ることで初めて目標が活きてるくのだ。

 

せっかく目標を立てたので結果を振り返ってみる。

 

①結婚式を楽しく終える:✔

自分の中では今年の1つの大きなイベントと捉えていた。

当初は式を挙げない予定であったが、挙げることにした。婚姻だけして親族に紹介もせず、生活することへ違和感があったからだ。目的は親族への紹介とこれまで育ててくれたお礼なので、盛大にやらず、ひっそりと行うことにした。

ムービー作成や簡単な催し物、挨拶などの準備はそれなりに大変であったが、一番苦労したのは式場選びである。5件くらい回ったが、中々しっくりとくる場所がなかった。

親の意向も取り入れる必要があり、時季、場所、価格などを総合的に考えると見つからないのだ。優先度を付ければいいのだが、どうしても欠けた部分に目がいってしまう。

最終的には納得のいく会場をみつけることができ、天候にも恵まれたのでよい式になった。婆ちゃんが元気なうちに挙げれたのもよかった。

金銭的には安いものではないが、ゲストの席配置、式の流れなど学べることは多かったし、何より良い思い出になった。

無駄金にはならないと思うので、挙げることを勧めたい。

 

②タイに行き、タイ料理を食べる:✔

コロナによる渡航規制が無くなった直後のGWに念願のタイに行くことができた。コロナ禍で溜まっていた、行きたくても行けないうっぷんを晴らすことができた。

そして本場のタイ料理や現地の雰囲気を味わうことができ感無量である。行ってからはタイへの想いが収まることはなく、むしろ強くなってしまった。

タイをより知りたくなり、タイに関する書籍を読み漁った。読んでいて楽しいのだが、結局は文字世界での話である。「百聞は一見に如かず」という諺があるように、自分の経験を遥かに超える想像はできない。

実際にはどうなのか、五感を使って確認をしたいという中毒症状が出たので、年末年始でもタイを再び訪れることにした。

また、チェンマイ訪問時に見つけたトゥアナオが引き金となり、発酵食品に興味が湧いた。普段口にしている醤油や味噌にはじまり、お酒やチーズ、漆器など身近に当たり前のように存在していたのだ。発酵食品の面白さは知れたので、次年は発酵食品を作ってみたい。

 

③タイブログ通算200記事投稿:✔

2023年では120記事を投稿することができた。若干であるが、訪問者数も増えている。

タイ料理を食べたときは忘れずに更新するようにしているが、どうしても溜まってしまう。後から慌てて書くこともあり、その時はブログを書くことが作業になっていたことが反省点だ。

"料理方法"はまだしも、"料理した"という記録を書くことは、山行記録のように記録としての価値を持たない。自分が出す情報に価値を持たせる為にもブログ内容の再考が必要である。

 

④月一冊の読書:✔

2023年7月より通勤時間が片道80分になり、電車に乗っている時間が毎日90分生まれた。生まれたというと聞こえはいいが、自由時間が通勤になっただけであり、不自由時間が生まれたのだ。

通勤中の人を見ていると、スマホいじっている人、寝ている人、ボーっとしている人、音楽聞いている人、読書している人に大別できる。流石に朝からくっちゃべっている人は殆どいない。

毎日電車に乗っていると分かるが、顔ぶれは大体同じである。驚いたのは6台くらいを使用してスマホガチャをしている人がいたことだ。人生とお金をドブに捨てているように思う。

過去の人生で通勤や通学に掛かる時間をみてみたところ以下のグラフとなった。

振り返ると社会人①までは理想的な通勤/通学時間である。夜更かしや朝寝坊は日常であり、プライベート時間も十分にあったと思う。

早いところ今の状況を打破したいが、いかんせんどこにでもいる汎用型人間なので休みも給与もそこそこにある現状に満足してしまっている。在宅勤務を活用するなりして、自分の時間を確保したい。通勤は短いに越したことはないのだ。

 

2023年に読んだ本は計55冊。

読んだ中でお勧めしたいのは、以下である。

・謎のアジア納豆(高野秀行

・納豆の起源(横山智)

・納豆の食文化誌(横山智)

・世界の発酵食品をフィールドワークする(横山智)

・納豆の快楽(小泉武夫

 

高野さんの本はやはりハズレがない。辺境ライターなのだが、学者のような行動をされている。

先日クレイジージャーニーにてお酒を主食とする人たちが住む地域であるコンソを紹介していたが横山先生の「世界の発酵食品をフィールドワークする」という書籍がきっかけになっていると感じた。

アジア納豆を調べると誰しもが横山先生の書籍に辿り着く。その書籍こそ「納豆の起源」と「納豆の食文化誌」である。特にフィールドワークによる在来知を基に提唱された「納豆の発展段階論」はシンプルで分かりやすい。

納豆の好き嫌いに関係なく、読み物として面白いが聞きなれない地名が多いので片手に地図が必要である。

 

小泉武夫先生の「納豆の快楽」は納豆の機能性や起源、調理方法と多面的な内容となっている。”舌を抜かんばかり”、”舌に馬力が入る”、”三者の混合芳香”など独特の言い回しが特徴で、食という行為に対する熱い思いを感じ取ることができる。

TV局はAKBグループやタレントによる食レポよりも、このような方をグルメ番組に起用して欲しいものだ。ただ、視聴率は肌の露出が多かったり、キャピキャピした女性タレントを起用した方が取れるのでしょう。(差別的発言かも・・・でも事実だと思う。ひろゆきには怒られますが、データはないです。)

納豆に限らず、食に関する書籍を100冊以上かかれているので、興味がある方は読んでみて欲しい。

 

今年は投資、タイ、食品に関する内容が中心であった。

電車内では自宅よりも集中して読むことができたが、物覚えが悪いので大半の書籍内容はうろ覚えだ。メモを取りながら読んだのだが、自分の身になっている感覚がない。(読書ってこんなものなのだろうか)

悪い習慣ではないと思うし、人生を豊かにする為にも読書自体は継続したいと思う。

 

⑤リードクライミング5.12aを登る:✖

お買い得課題と言われている小川山の「スラブの逆襲」と瑞牆の「レイザーズエッジ」を登った。あわよくばと古美山の「一難去って」を登ろうとトライしてみたが、見事に跳ね返されてしまった。

登れたことは嬉しいのだが、やはり月1にジムが半額になる時に登ってたくらいだと、この程度である。現実は甘くはないのである。

今は週1でボルダリングジムに通えており(通勤時間や家事することを考えるとこれ以上はちょっと厳しい・・・)、登ること自体がストレス発散にもなっているので続けていきたいと思う。

 

今年は恋焦がれていたタイにも行くことができ、比較的充実した1年であった。2024年も公私とも充実した1年にしていきたいと思う。

 

ジューガンマイクラップ